前回は,消費者向け電子商取引(B2C-EC)事業の海外進出,グローバル化の観点から,個人情報管理について考えた。

 2008年9月9日には,三菱商事とミクシィが,新会社ネクスパスを共同で設立することを合意したと発表した(「三菱商事株式会社と株式会社ミクシィ 決済システム及びサービスを提供する合弁会社の設立のお知らせ」参照)。ネクスパスは,ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の個人ユーザーに決済システムおよびサービスを提供するという。

 折しもミクシィは,インターネット環境及び次世代携帯電話の普及によるモバイルインターネット・サービスの領域で大きな可能性がある今後重要なマーケットとして中国を位置付け,2008年5月に現地子会社を設立,6月にはSNSサービスのテスト版を開始している。ネクスパスのSNS向け電子決済サービスが国内に対象を限定したものであるか,中国をはじめとする海外への展開を念頭に置いたものであるかによって,株主/投資家の反応が大きく変わる可能性がある。プライバシー/個人情報保護対策は,これらのビジネスの中核に関わるトピックであり,今後の動向が注視される。

 さて今回は,教育分野の個人情報管理について取り上げてみたい。

個人情報流出で浮かび上がる公立学校の非正規雇用問題

 2008年8月28日,神戸市教育委員会は,市立中学校及び市立高校の卒業生や在校生の情報が,臨時講師の自宅パソコンから,ファイル交換ソフト「Winny」を介してインターネット上に流出した可能性があることを発表した。新聞各紙の報道によると,講師は,2006年度に市立高校,2007年度から市立中学校で理科を教えており,流出した可能性がある情報には,講師が勤務する市立中学校の卒業生385人分の進路情報と在校生83人分の成績情報,前任の市立高校卒業生239人分の成績情報などが含まれているという。

 教育機関の個人情報流失・紛失に関する事例については,第53回第72回第94回で取り上げたことがある。今回のケースは,ファイル交換ソフトを介した私物パソコンからの個人情報流出という“典型的”なものだが,注目すべきは,流出元が正規雇用の「教諭」ではなく非正規雇用の「臨時講師」である点だ。

 公立教育機関では,授業や学級担任,校務分掌などを正規教員と同様に担う臨時的任用教員(常勤講師)や,パートタイムで授業のみ受け持つ非常勤講師など,非正規雇用者の数が年々増加している。従来,自治体職員を配置していた学校用務員,事務員,学校図書司書などについても,外部委託や非常勤化が積極的に進められている。

 教育現場では,未成年者を含むセンシティブな個人情報を日常的に取り扱う業務が一般的だが,正規教員ですら1人1台のパソコンが配備されていないところが多く,セキュリティ専門知識を有する人材も不足している。まして,単年度の任用期間を前提とした非正規雇用の講師各人の自助努力にセキュリティを依存するような状態では,子どもの「安全・安心」どころではない。

文科省の非常勤講師増員で注目される学校側の対策

 本連載では,契約・雇用形態が多様化する民間の企業組織で起きた個人情報漏えい事件をいくつか取り上げてきた。契約管理,外務委託管理などを含めて,個人情報保護対策の現場は四苦八苦している。

 以前,第128回で取り上げたように,金融業界や流通業界ではコスト削減を目的として,数年前から営業店舗の戦力を正社員からパート社員や派遣社員に大幅シフトさせてきた。だが,ここにきて,企業競争力強化の観点から,非正規雇用社員の正社員化に向けた人事制度を推進している。また,厚生労働省は,偽装請負,労働災害,保険年金など,契約・雇用形態の多様化に伴う人事コンプライアンス問題が相次ぎ発覚・社会問題化したことから,平成21年度予算概算要求で,「派遣やパートなどで働く者が将来に希望を持てる社会」と題した非正規雇用対策を打ち出している。

 これに対し,文部科学省は平成21年度予算概算要求で,初等中等教育の充実を目的とした「新学習指導要領の先行実施に伴う授業時数の増等に対応するため,非常勤講師を配置し,指導体制の整備を図る」施策の一環として,非常勤講師1万1500人の増員を求めている。

 新学習指導要領の円滑な実施は,日本の教育機関におけるコア業務プロセスそのものであり,しかも,児童・生徒の個人情報の利用が前提となっている。1万1500人の非常勤講師に対し,学校保有のパソコンを支給するとなれば,相当額の予算が必要になる。他方,私物パソコンの持ち込み利用を前提とすれば,個人情報漏えいのリスク負担が,子どもの「安全・安心」に降りかかってくることになる。非正規雇用対策と個人情報保護対策の両立は,「官」「民」共通の課題であり,今後の教育界の対応が注目される。

 次回も,教育分野の問題について考えてみたい。


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■笹原 英司 (ささはら えいじ)

【略歴】
IDC Japan ITスペンディングリサーチマネージャー。中堅中小企業(SMB)から大企業,公共部門まで,国内のIT市場動向全般をテーマとして取り組んでいる。医薬学博士

【関連URL】
IDC JapanのWebサイトhttp://www.idcjapan.co.jp/