ITpro Watcherで連載中の久米信行さんのコラムで先日,「深呼吸する言葉ネットワーク」という活動が紹介された。この活動は「ネット・ケータイ時代の新体詩運動」を目指すもので,参加者は同活動のサイトに詩を投稿する。久米さんは仕事のストレスなどでこりかたまった心をストレッチするために,この運動が提唱する「深呼吸する言葉」がいかに有益かをコラムの中で力説してくれた。

 「深呼吸する言葉ネットワーク」に投稿された新着作品を実際にのぞいてみると,長さに上限があるぐらいで形式はほぼ自由。日常のちょっとした感情の動きをスケッチ風にとらえたものから,世を憂う警句・箴言(しんげん),気の利いた言い回しまで,様々なスタイル・内容の詩が並んでいる。短い詩というと,相田みつを風の人生訓,芥川龍之介の侏儒の言葉ぐらいしか思い浮かばない筆者にとっては,かなり新鮮に感じられた。

 この活動の主宰者はデジタルメディア研究所の橘川幸夫所長である。投稿サイトには誰でも参加できるわけではなく,橘川さんがサンプル原稿を見て,参加をお断りする場合もある。久米さんによると,参加を断られるのは詩の巧拙ではなく,「あまりに教条的な演説をしそうだったり,ちょっと感覚がズレすぎていたりする場合」だ。

 万葉の昔から,詩歌はコミュニティの形成に重要な役割を果たすと同時にコミュニティの中でスタイルを洗練・完成させてきた。そのことを考えると,言葉は悪いが「ちょっと感覚がズレすぎている」人を排除して,リーダーが独善的に流れを作り上げていくことは,「ネット・ケイタイ時代の新体詩運動」を展開する上では必要なことなのだろう。

 ところで,主宰者の橘川幸夫さんであるが,どこかでお聞きしたことがあるお名前だと思い調べてみたら,洋楽雑誌「ロッキング・オン」の創刊メンバーのお一人だった。ロッキング・オンと言えば,今でこそ大メジャー雑誌であり,ビッグネームのミュージシャンも頻繁にインタビューに登場する。しかし,橘川さんが編集部に在籍した1970年代の創刊直後は,それこそスタッフ自身が書店に配本してまわるような“ミニコミ誌”だった。その後,同誌は商業誌として一定の成功をおさめ,1970年代後半には筆者が住んでいた地方の書店にまで配本されるようになる。

 70年代から80年代にかけてのロッキング・オンは,読者投稿にかなりのページを割いていた。筆者は,毎号欠かさず手に取るほどには同誌の熱心な読者ではなかったが,それでも,個人的な思い出や日常の出来事を導入部に,洋楽アーティスト(当時はそういう言い方はしなかったが)の楽曲やエピソードを紹介,その後で両者を結び付けて最後はきれいにまとめるというロッキング・オン独自の投稿スタイルは,1980年前後には完成の域に達していたと記憶する。

 今にして思えば,弱小ミニコミ誌としてスタートした当時のロッキング・オンは,ミュージシャンへの直接取材が難しいこともあって,苦肉の策として読者投稿を中心に構成していたのかもしれない。それでも,同誌は商業詩として成功する。その理由の一つには,個人の洋楽に対する思い入れを表現する上で,同誌の投稿スタイルがきわめて優れたものだったことがあるだろう。投稿する読者自身もロッキング・オンの愛読者であり,同誌のスタイルを踏襲しながら記事を執筆・投稿する。編集者はロッキング・オンの編集方針に従って,それらの投稿に手を入れる。その繰り返しで,同誌独自のスタイルが完成していったのだろう。

 橘川さんはロッキング・オンを離れた後,1980年代前半には投稿雑誌「ポンプ」を創刊する。いわば,投稿雑誌の大ベテランであり,ネット上でCGM(Consumer Generated Media)という言葉が登場する何十年も前から,読者投稿を中心に成立するメディアに取り組んでこられた。「深呼吸する言葉ネットワーク」の運営方針は,投稿者の自由を尊重して最低限のルールだけで運営されている多くのCGMに比べると,やや堅苦しいを受ける。だが,コミュニティの運営スタイルは,目的やコミュニティの性格ごとに様々なものがあり得る。それは「匿名か実名か」という単純な話だけではないはずだ。「深呼吸する言葉ネットワーク」の運営方針の背景には,投稿メディアにおける橘川さんの長年の経験が存在しているのだろう。