第三事業部が火消しとして引き継いだラビット製薬の失敗案件には、根深い問題がありました。愛須課長がプロジェクトマネジャーを引き継ぐ前に、2 人の前任者がいました。今回は、1人目のプロマネが消えた訳が明らかに。一方、北北工業の案件でコンサルに入った城南大学の“ピンハネ”に直面した内藤・後藤(りえぴー)のコンビは、北北工業に向かっているようです。


「ばかもーん!」
 今日も亀井情報システム部長の怒鳴り声が聞こえる5月末のラビット製薬会議室です。「2カ月経過した現在で納期が3カ月遅延」という報告を受けて怒り狂う亀井部長でした。
「一体全体、どうしてそんなことになるんだ?」
『ほらね、誰でも怒るよ』と営業担当の鮫島部長は思いましたが、仕方がありません。プロジェクトマネジャーの岩志課長はうつむいたままです。

「岩志! 貴様、なんとか言わんか!」
『うわ、呼び捨てだよ。よその社員をつかまえて。指揮命令系統もなにもあったもんじゃないなあ』そう鮫島部長が思ったとき、岩志課長が口を開きました。
「しかし、御社の方々がおっしゃることをまとめますと、このように仕様が膨らんだわけでして…」
「ばかやろう! 貴様らはITのプロだろうが! わしらは素人なんだから、適切なアドバイスをするのが義務だろう。それじゃなにか? 納期遅れはワシらの責任だと言うのか!」
「亀井さん、最初にプロマネはワシだと宣言しておいて、都合が悪くなったら自分たちはアマチュア気取りですか。そんなの都合よすぎません?」
「なんだと貴様! もういい! こいつはクビだ! 鮫島、新しいプロマネをつれて来い!」
「ええっ?」
「こんな無能なやつは出入り禁止だ!」

 そう叫んで部屋を出て行った亀井部長に、鮫島部長はもとより、ラビット製薬の社員もあっけにとられたままでした。
 そうして1人目のプロマネが消えました。

 私鉄で1時間。北北工業は、タクシーもいない小さな駅から徒歩20分のところにありました。
「内藤さん、どうして北北さんはこんな田舎に工場があるんですかねえ?」
「なに言ってるんですか、後藤さん。土地の高いところに工場を建てればコスト高でしょ」
 中田事業部長の指示通り、北北工業に電話をしたところあっさりアポイントがとれたので、少し拍子抜けの感で交渉に向かう今日の2人です。

「あ、そうかなるほど。提案のとき経営企画室長が『ITもコスト削減の提案が必須です』っておっしゃっていましたものね。でも、こんな田舎じゃ通勤する人も不便じゃないですか、あたしは無理だな」
「自宅近くで働きたい人が大勢いるわけですから、この近辺に住んでいる人たちには好都合なんですよ」
「ふーん、そういうもんかなあ。あたしみたいな都会的美人はオフィス街しか似合わないですから、こういうところじゃ浮いちゃって困りますね」
 バーゲンで買ったのであろう新しいグリーンのコートを見て、さっきから「アマガエルみたいだなあ」と思っていた内藤課長代理でしたが、それを口にすることはありませんでした。
「どうでもいいですけど、あたし絶対帰りはタクシーじゃないと嫌ですからね」
「ええっ?」
「ブーツが新品で靴ずれしちゃって、チョー痛いっす」

 片側三車線の幅広な国道を押しボタン信号で渡った2人は、正門の前の守衛室で社名と名前を書き「お客様」と書いた名札をもらいました。その時です。
「うーん。どうして気づかなかったんだろう」と突然、内藤課長代理が天を仰ぎました。
「どうしたんですか?」
「あれのことだよ。前回来たときに不注意だったかもしれない」

 内藤課長代理は、守衛室の横の大きなボードを指差しました。そこにはたくさんの名札がクリップで留めてあります。そのうちのひとつが…。
「あっ! 城南産業って大学とグルのやつらの社名じゃないですか。その横には東南ソフトの名前も! どうして名札があるんですか?」
「こういう大きな工場では、出入りの頻繁な業者には記名の名札を用意して、ああやって簡単に使えるようにしておくんだよ。うーん、『見えないヒントに気がつく営業になれ』って中田さんの口癖だよなあ」
「うーん、まあ仕方ないじゃないですか。第一あたしたち東南ソフトなんて知らないし」
「いや、明らかにソフト会社じゃないか。もっと早く気がついてネットで調べれば、事前にからくりが分かったかもしれない…」
「名札があるってことはですよ。やつらは、北北に自分の社名でしょっちゅう来てるってことじゃないですか! 北北の経営企画室長もグルってことですか」
 きびすを返した2人は走って守衛室に戻り、名札をつき返し帰路に就きました。

「どうすりゃいいんですか? あたしたち!」
「分かんないけど、こちらの手の内を明かすのは得策じゃないのは確かだ。とりあえず帰って、中田さんに相談しよう。電話では訪問の目的は言ってないよね」
「はい、ご挨拶にとしか言っていません」
「オッケー、室長には僕から急用ができたと断りの電話を入れよう」
 反対車線を走ってきたタクシーに無理やり乗り込み、2人は駅への道を急ぎました。

(イラスト:尾形まどか)

 ラビット製薬に2人目のプロマネである海老沢課長が来たのは翌6月のことでした。
「岩志君からの引き継ぎなんだけど」
「ええ、それはちょっと…」
「彼はどうしたの?」
「はい、その、出入り禁止になりまして」
 説明する鮫島部長も申し訳なさげですが、どうしようもありません。

「社内で引き継ぐとしても、資料はこっちだしね。なんとかこっちに来れないの?」
「とにかく出入り禁止ってやつで、すみません」
「それくらい営業でなんとかしてよ、鮫島ちゃん」
 海老沢課長は課長職とはいえ、鮫島部長より年上で、以前から彼の取ってきた仕事をこなしてきています。今回もベテラン火消しSEとして、他のプロジェクトから引っ張ってこられたという経緯でした。

「それが、もうどうしようもなくて」
「いいよ、とりあえずドキュメント見て電話で聞くよ」
「はあ、それも…」
「えっ! 電話もできないの?」
 岩志課長は以前から退職を計画していたらしく、辞表をたたきつけて有給休暇消化に入ってしまっていました。まとまった休みで海外旅行へ行っているため、電話さえつながらない状態なのです。

「うーん、でもイワちゃんもね、有給なんて何年も取ってなかったからね。それどころか残業も繰越分を相当プールしてるよね」
 繰越とは、労使協定での残業時間をオーバーした分を、申請せずに翌月に先送りすることです。また、プールというのは、翌月もオーバーするために延々と繰り延べることで、社内隠語でそう呼ばれていました。もちろん、労働基準法違反です。

「そうなんですよ、プールが300時間くらいかな。律儀にメモしてましてね。休暇を認めないと出るとこ出ますよって、鯨井事業部長を脅かしたらしいんです」
「それで優雅に海外へってわけか。仕方ないね」
 さすが「火消しの海老沢」と言われた人です。鮫島部長もそのときは『なんとかなるかな』と思いました。

 海老沢課長は、早速チームの再編成を行いました。レベルの低いSEを1人切り、そのコストで派遣社員を2人雇いました。彼らをドキュメント起こしとファイリングに集中させ、自分はヒアリングとレビューに集中しました。一切の休暇をとらず、メンバー全員に深夜残業と徹夜を連続させた結果、1カ月で進捗回復が見えてきました。
 しかし、また新たな難題です。

「海老沢さん、CASEツールは使わんのかね」
「CASEツールですか?」
「これだけの規模でそういったツールを使わないのはどうかなあと思ってねえ」
 この1カ月で、亀井部長は海老沢課長の仕事ぶりを認めるようになりました。しかし、彼には「人は使い切らないともったいない」という哲学があるようです。
「是非、選定してもらえんかね? 海老沢さん」
「やっと一部、詳細設計に入れるところなのですが」
「詳細に入ってからでは遅いから言っているんだよ。もちろん、CASEツールの金は払うからさ」

 こうして海老沢課長はツールの選定に入らざるを得なくなったのです。この後、10月に愛須課長に引き継ぐことになるまでの3カ月に、何が起きるかまでは、彼も予測できてはいませんでした。

次回に続く

今号のポイント:顧客企業で競合の情報を得る方法

 企業と取引するにあたって、いろんなヒントがあっちこっちに落ちているものです。本文にあるように、メーカーであれば、どんな取引先が来ているかを一見して知ることができることがありますし、受付簿を書くときも注意すれば分かる場合があります。納入車から知ることもできますから、たまには駐車場も回ってみましょう。逆に、自分たちが出入りしていることを既存ベンダーなどに知られないことが必要なときもありますから、社章のデザインが派手な会社の営業なら、要注意です(笑)。

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。

出典:日経ソリューションビジネス 2006年5月15日号 62ページより

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