昨年10月、第一事業部のお手上げプロジェクトだったラビット製薬の案件を引き継いだ第三事業部ですが、最初の担当は愛須課長と坊津君でした。愛須課長は開発のエース。その愛須課長を助けようと、坊津君は必死です。一方、城南大学と北北工業の案件は両者の癒着が明らかになり、内藤課長代理とりえぴーでは手に余るようになりました。中田事業部長の出番です。


「どうしてプロマネの交代理由がCASEツールの選択なんですか。私には理解できません」
 なんとかオンスケジュールにまで戻せそうなのに、第一事業部の海老沢課長はプロジェクトを去りました。

「結局、その…相性が悪いってことで…」
 説明する第一事業部の鮫島営業部長も歯切れが悪い話しかできません。「と、とにかく、もう第三事業部に任せたんだから、私はもう…」
 そう言うと、鮫島部長はラビット製薬の玄関できびすを返して帰ってしまいました。
「ちょっと待てよ! …ここまで来て帰るか?」
「坊津君、仕方ないわ。あんな無責任な男、いてもいなくても一緒よ。放っておきなさい」
 やむなく2人は玄関横の受付を通り、定例会議が始まる会議室へと急ぎました。

「で、なにか引き継ぎはあったんですか、愛須課長」
「うん、生産管理サブシステムだけど、製薬業特有のロットトレースシステムを無理して自分たちで作っちゃったの。それで収拾がつかなくなってるわね」
「え、そんなのイチから作ってたんですか、うちのSE」
「あたしはパッケージを導入して対応を図ろうと思ってる。だいたいのアタリはつけてあるわ」
「別途仕入れが発生するんじゃないですか?」
「男ならガタガタ言わないの! スクラッチでズルズルやれば、どれだけ損害が出ると思ってるのよ」
「そりゃそうですが…」
「心配しないでいいわ。あたしがアタリをつけてるのはオープンソースだし」

 こちらは、城南大学と北北工業の根深い癒着の事実をつかみ、中田第一事業部長に報告をする内藤課長代理とりえぴーこと後藤さんです。
「話は分かった。では、まず方針を決めようじゃないか。我々も癒着に加担するかどうか、だが」
「そんなの卑怯だからダメです」と速攻でりえぴー。
「後藤さん、待ってよ。そういうことじゃなくてだ」
「冷静に考えて、彼らが現在提示しているマージンを提供することは不可能です」と内藤課長代理です。
「その通りだな。で、それはそうとして、そのマージンは値切れないのか?」
「不可能ですね。無理なら他の会社に頼むそうです」
「うむ。ではその線は諦めよう。次に正面きって、この癒着を指摘する、つまり癒着しているヤツラをやっつける方向で考えるとしよう」
「そうこなくっちゃ! 中田さん、超カッコイイ」と喜ぶりえぴーです。
「かっこよくてもビジネスで失敗しちゃダメだよ、後藤さん」 そうたしなめながら、中田事業部長は話を進めます。「よし、そのソフト会社に乗り込もう。内藤君は内示書をもらってるんだろ?」
 そう言うと中田事業部長は、タクシーを呼ぶようにりえぴーに指示しました。

 会議室には、既にメンバーがそろっていました。
「遅いぞ」と亀井情報システム部長の怒号が飛びます。
 遅いわけがありません。こちらは5分前に到着しているのです。受付でずっと待たせていたのは、ラビット製薬の方です。坊津君はそう思いましたが、反射的に「すみません」という言葉が口をついて出ました。
『しまった。こういうふうに相手を抑えてリズムを作っていくつもりなんだな。中田さんに聞いておいてよかった。もうアタマなんて下げないぞ』

 会議は粛々と進みました。
「で、新任の愛須課長から提案された抜本的な対策案ですが…」 30歳代半ばの優男が口を開きました。
「そもそもエンタープライズで、かつ当社のような一部上場企業がオープンソースを使うなど、荒唐無稽な提案であると思いますが」
「お言葉ですが、契約書にはオープンソースを使わないという項目はありません。今の世ではこういったものを積極的に取り入れる偉業こそが先進的な…」
 そこまで愛須課長が言ったときのことです。

「バカモーン!」 亀井部長が持っていたファイルを机に叩きつけました。
 どかん! ぱしゅーっ! ファイルは力いっぱい叩きつけられた勢いで、音をたてて末席の坊津君のところまで滑ってきました。『うわ、どうしよう』
 亀井部長が怒声を発します。「言うに事欠いて、タダのもんを拾ってきて使うだと! ふざけるな!」
 会議室はものすごい雰囲気になりました。気丈な愛須課長もさすがに、これにはすくみ上がっています。『どうしよう、どうしよう、どうでもいいけど、オレがなんとかしなきゃ』
 次の瞬間、坊津君は立ち上がっていました。「亀井部長! ファイルを叩きつけるなんて大人げないですよ! なーに考えてるんですかっ」

 思わぬ大声に会議室はもう一度シーンとなりました。その瞬間、亀井部長が拍子抜けした顔で言いました。
「それも…そうだな。オレも大人げ…なかったな」
 また会議は粛々と進んでいき、愛須課長の提案も品質保証をきちんとするなら、どのようなものを使おうが構わないという話になりました。
「いやー、坊津さん。すごかったね」
 会議が終わって喫煙コーナーにいる坊津君に話しかけてきたのは、あの優男でした。

「実は亀井さんのことだけど、今の社長が連れてきた人でね、うちのメンバーもちょっとやりすぎじゃないかって言ってたんですよ。前の君のとこの課長もほんと、ありゃイジメだよ。海老沢さんだっけ?」
 海老沢さん退場の真相を知るチャンスです。
「進捗が順調に行きそうになったところで、突然CASEツールを使えと、いろいろ調べさせては難癖つけて却下、却下の繰り返し。ありゃ自分の権威付けのためにイジメてたとしか思えないね」
「どうしてそんなことを」
「一度みんなの前で部長をやり込めちゃったんだな。会議で亀井さんが『SEなら、なんとかいう本くらい読んどけ』って怒鳴ったとき、『原書で読みましたよ』ってサラリと言い返されたんだよ、海老沢さんに」
 坊津君は、亀井部長のあわてる様子も見たかったと思うとともに、お客さんの部長を部下の前でやり込めなくても、と海老沢課長の子供っぽさを憂いました。
「今回は君の一喝で改心したというか。まあメンバーが一新されると、風通しがよくなるもんだね。僕らも話がしやすくなったよ。坊津さん、頼りにしてるよ」
 そういうと優男は戻っていきました。
 実際、これが両社の雪解けの始まりとなりました。

(イラスト:尾形まどか)

 そして今…
「まあ、そんなこともあったわね。きっかけっていうのは突然くるものよ」 笑いながら話す愛須課長です。 
 猫柳君も感心しています。「ほんと坊津さんの向こう見ずも役に立つことあるんだ」
「うるせえ、この野郎。とにかくだな、あと1カ月、頑張って仕上げないとダメなんだ、ねえ愛須さん」
 そのとき愛須課長が、しまおうとしたペンケースを床に落としました。
「あ、オレ拾いますよ」「大丈夫よ」
 愛須課長はペンケースを拾おうとして、そのまま崩れるように床に倒れ込みました。

 愛須課長が倒れる少し前、中田事業部長、内藤課長代理、りえぴーの3人が東南ソフトから出てきました。
「あ、あれで良かったんでしょうか」と内藤課長代理。
「ああ、そうだよ」 中田事業部長は平然と答えます。
「裁判では勝つんでしょうか」 今度はりえぴー。
「裁判なんてしないよ」
「ええっ?」 2人の部下は驚きました。

 北北工業で対応したのは、専務と名乗る男でした。ネクタイもしないで出てきたその専務は、「無理ならいいですよ。ほかとやります」の一点張り。
 何度かのやり取りが続きました。ついに…
「こっちにはおたくの社印をついた書類があるんだ。出るとこ出て話をさせてもらうぞ! 覚えておけ!」
 中田事業部長が椅子を蹴っ飛ばし、そのまま北北工業を後にしたのです。
「裁判、しないんですか」「今日の訪問の意味は?」
「まあ、そう言うな。このもめ事はここまでで終わりだ。もう手の打ちようがない」
「もう無理ですか」
 なおも食い下がろうとするりえぴーを、内藤課長代理が止めました。『一番悔しいのは中田さんだ。以前いた大手の会社ならどうとでも交渉のやり方があっただろう。会社の看板とかが、うちにはない』
「お前たち、おれが椅子を蹴って、すっとしただろう」
「そう、それは心がすっとしました」
「なら、意味があったじゃないか」

次回に続く

今号のポイント:「こじれ際」と「引き際」を見極めよう

 交渉事で大事なのは引き際です。お客様ともめる。取引先ともめる。それは営業として避けようがありません。っていうか、それが仕事だったりします(笑)。大事なのは引き際なんです。それが分かっていながら、なかなか引けないのはどうしてでしょう。それは、計画性の問題です。もめ事は感情的になった方が負けとよく言いますが、計画性さえあれば感情的にはなりません。まず「今日はもめるぞ」です。次に「ここまで引き出せたら帰るぞ」「ここまでこじれたら帰るぞ」。これは想像力と推理力のゲームです。楽しんでください!

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。

出典:日経ソリューションビジネス 2006年5月30日号 70ページより

記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。