第三事業部の坊津君たちが火消しに奔走する失敗プロジェクトは、もともと第一事業部の不始末です。2億円の案件で4000万円もの値引きを受け入れた挙句、仕様確定でも問題が発生したようです。今回は、この失敗案件の“誕生秘話”の続きです。一方、りえぴーこと後藤さんたちの担当案件でも無理難題を要求され、このままでは大幅値引きが避けられそうもありません。


 その日は朝から雨でした。一日中、雨が降り続くじめじめした5月末の空の下、営業担当の鮫島部長がラビット製薬に到着したのはもう夕暮れでした。

「で、進捗どうなの? 岩志課長」
「ええ、けっこう遅れてます。」
『結構遅れてるって、なんて無責任な言い方だろう』
 40歳前なのに、長髪でネクタイもせずスリッパを履いて出てきた岩志課長を苦々しく思う鮫島部長です。

「遅れてるって、どれくらい?」
 自動販売機コーナーでパイプ椅子に座りました。今日は19時からラビット製薬との月例進捗会議。鮫島部長は1時間前に来て、プロジェクトマネジャーの岩志課長と報告内容のすり合わせです。こちらが一枚岩になっていないと、客につけこまれる原因になるからと、鯨井第一事業部長の指示でやって来ました。

「3カ月くらいです、かね」窓の外を見ながら答える岩志課長です。
「3カ月って…なにかの冗談か? プロジェクト始まって2カ月ですよ。寝てても、2カ月しか遅れないんですよ。どうしてバックするの。悪い冗談でしょう!」
「そんなに言われても…」岩志課長はプイと横を向き、すねた様子を隠そうともしません。
「意味が分かんないよ。ちゃんと説明してよ」
「根拠はこれです」バサッとおかれた資料は、この2カ月間で岩志課長が作ったものでした。

「お客さんの言う通りに仕様を書いていったら、膨らんじゃって…」
「膨らんじゃったって…」鮫島部長は気づきました。確かに38歳の彼はプロジェクトマネジャーの経験が豊富です。いくつも大規模プロジェクトに参画してきた経験が買われ、今回抜擢されたのです。しかしよく考えると、どれもこれも2次請負ばかりでした。
「ちょっと聞くけど仕様が膨らむってことは…」
「売り上げ増、ですよね。今までそうでしたけど」
 言い知れぬ絶望感が鮫島部長を包み始めました。
「今回の契約形態を知ってるのかい?」
「自分はあまりそういうこと知りませんから。いつも営業さんでやってもらってるし、えへへ」

『こいつはこの手のSEだったんだ』派遣どっぷりで、客の言うことを仕様にするSEのことです。契約相手がSI会社なら、それでもいいかもしれませんが、ユーザー直でこんなことをしていては、「2カ月たったら3カ月遅延」も十分あり得る話です。
 この2カ月、彼の指揮の下、2人の技術者が基本設計にあたっていたので、これで既に6工数を無駄にしてしまった、ということになります。契約で2割引でしたから合計すると損害額はいくらになるのやら。寒気を通り越して、鮫島部長に悪寒が走りました。

「こちらからアドバイスして仕様を絞り込まないと予算が足りなくなるって、そんなことも分かんないのか。見積もりは確認したのか?」
 怒り気味の鮫島部長の発言に「ちょっと待ってくださいよ。見積もりしたのは僕じゃないですよ」と岩志課長は反論しました。
 この案件の見積もりは慎重を期して、鯨井事業部長直属のコンサルティングチームがやったのですが、コスト削減のために設計に入った時点で、コンサルチームの全員が抜けていました。
「あはは、製薬業なんて知らないし、販売在庫と言われてもチンプンカンプンですから、アドバイスなんてできないっすよ。前のプロジェクトがギリギリまで延びたから引き継ぎもろくになかったし。大体さあ、僕に見積もりを見ろって前に、あんたが僕のスキルシート見て、それからしゃべってよ、鮫島部長さん」

(イラスト:尾形まどか)

「15%オフ、か。ま、とりあえず再積算だな」
「これで受注できるなら、挑戦してみますか」
こちらは第三事業部の会議室。中田事業部長、技術の責任者として松本課長、内藤課長代理、りえぴーの4人が向き合っていました。

「最初からそう言ってくれれば、コストを見込んでいたのに」と内藤課長代理。
「それより最大の懸念は値引き額もさることながら、彼らの会社のSEを参画させろという部分だが」
 そう言う中田事業部長に「まあ、相手の手弁当なら仕方ないですね」と松本課長が答えました。
「え、お弁当を用意するんですか?」
「あははは、違うよ、後藤さん。給料は自分の会社持ちで勉強という形でプロジェクトに参画することを『手弁当』っていうんだ」
 りえぴーの質問に笑顔で答える中田事業部長でしたが、りえぴーはこう言いました。
「違いますよ、事業部長。2人を外注契約して雇わないといけないんですよ」
「なんだと! そんなコスト見られるわけないだろうが」松本課長が気色ばんで言いました。

「構築期間1年半として、1人につき2000万から2500万円か。でも勉強なんだから、単価は相場の…」
「先方の希望は相場の全額です」
 4億円の受注で15%なら、6000万円のリベートになります。さらに、数千万円を上乗せしてよこせという、たいへん厳しい要求です。しかし、それが城南大学側の厳然たる要求なのは事実なのでした。

「4億で1億なら、トータル25%の値引きってことじゃないですか。それも素人をプロジェクトに入れて、その教育もやれってことでしょ!」
 りえぴーの悲鳴が会議室に響きました。
「なにが産学連携なんですか。こういうの、癒着って言うんじゃないんですか。もうアタシ怒った!」
「で、その怒りはどこへぶつけるんだ?」と冷静に松本課長が言いました。
「え? どこって…えーっと」
「まず、城南大学とこのソフト会社はグルだ。だから城南大学に文句を言っても始まらない」
「じゃあ、北北工業はどうでしょう」
「ここも担当がグルっぽいなあ」
 ここで中田事業部長が口を開きました。

「分かった。じゃあ内藤課長代理は、北北工業がグルじゃないかどうかを調べてみてくれ」
「無理です。直接のアポイントが禁じられてます」
「それはコンペ中のことだろう。ここは柔軟にいこうじゃないか」
「でもグルかどうか調べるなんて…どうすればいいんですか? まさか、聞くわけにもいかないし」
「簡単だよ。北北工業に要件をぼかしてアポイントを申し込むんだ。簡単にOKが出ずに、あの研究員たちからあわてて確認の電話がくればグルだ」
「あ、なるほどね。分かりました。電話してみます」
「次の一手を考えるのはそこからだ」
「鯨井事業部長、プロマネの交代をお願いします。彼では経験が乏しすぎます」
「朝早くから、なに寝ぼけたこと言ってるんだ。使えないSEを高値で売るから営業なんだろうが」
 翌朝、相談にいった鮫島部長でしたが案の定、鯨井事業部長の回答はそっけないものでした。

「使えるSEは薄く広くばらまく。できるだけマルチで使う。使えないSEはどっぷり浸らせる。できるだけシングルタスクで使う。これが利益の出るエンジニアリングの基本というもんだ。なに言っとるか」
「しかし、彼は客対(客先対応)の経験がほとんどありませんし、信じられないことに、この2カ月で3カ月の納期遅延を起こしています」
「はあ、そんなこと知ったことか! そこをなんとかするのがお前の力だろうが。そうでなくても忙しい俺の部下を、見積もりにまで使ったんだぞ」
「そうです。そのメンバーの1人をなんとか助っ人にお願いできませんか」見積もりをした人間がプロジェクトにいないから、範囲が不明確だ、という岩志課長のコメントも一理あると思う鮫島部長でした。

「バカ野郎、いまさら高い単価の人間を入れると余計に赤字が大きくなるって分かんないのか? そもそも岩志が前のプロジェクトを抜けるのが遅くなったから、ろくに引き継ぎもできなかったんだろ? そのプロジェクトの担当は貴様じゃないか」
 ぐうの音も出ない鮫島部長でしたが、「そこをなんとか、1カ月でも」と食い下がります。仕様が膨らみ続けることは明らかだからです。
「だめだ、だめだ! 彼らはもう次のプロジェクトに入っているんだ。とにかく、このことについて貴様とこれ以上、議論するつもりはないからな!」
 そう言って席を立つ鯨井事業部長を見て、午前中だというのに辺りが急に暗くなったような気がした鮫島部長でした。

次回に続く

今号のポイント:助っ人の投入以外の打開策を得るには

 営業としてはピンチに入る兆候を察知して助っ人を投入したい。しかし、コストを預かる者としてはなるべく人員増加は避けたいというのが、基本的なジレンマです。これに、現場のプロジェクトマネジャーの危機察知能力が不足していて「大丈夫です。なんとかします」みたいなことを言うと、もう大変です。この辺りのことは「プロマネの極意」みたいな話で、あちこちで書かれていますが、営業としてはどうすればいいのでしょうか。
 まず現場の状況を、営業の目、自分の目でキチンと理解すること。あなたが若手ならたいへんよろしい。同期が担当ヒラSEとして参画しているでしょうから、彼らから聞き出せばいいのです。そして、危機が迫っていたら、営業からアラームをあげましょう。アラームは簡単。「予定通りの利益が上がりません」という一言です。この一言で、いろんな立場の人がその案件に興味を持ち、単なるコスト削減以外の視点から、対策を検討してくれることになります。お試しあれ。

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。

出典:日経ソリューションビジネス 2006年4月30日号 56ページより

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