(撮影:中島正之)

 リコーは1990年代前半の危機を乗り切り、その後、快進撃に転じたが、同社の原動力となったのは業務改革とIT(情報技術)だった。IT利用に基づく業務改革を推進する組織「IT/S委員会」を94年から設置している。IT/S委員会にかかわり、その後も、業務改革を手掛けてきた遠藤紘一専務執行役員に、業務改革のポイントを尋ねた。遠藤氏は「企業の現場では、いきなりなぜ(Why)を議論するケースが多い。これは患者の症状を分析しないまま治療を始めるようなもの。なに(What)を追求し、細部にある問題を突き詰めよ」と語る。さらにリコーは,過去の経験から得たノウハウを同じ立場のユーザー企業に提供していく。ERPパッケージ(統合業務パッケージ)を導入する前に必要なBPR(ビジネスプロセス改革)を支援する、といった活動をしているという(ERPについては英略語咀嚼参照)。



日高:IT/S委員会を立ち上げる直接のきっかけになった出来事は何でしたか。

遠藤:Iリコーが赤字に転落する1990年代前半、私は米国にいました。思わしくなかった工場を立て直してようやく楽になったな、と思ったとたんに「日本に帰ってこい」と言われまして(笑)。私はエレクトロニクス関係の部門を担当することになりました。しばらくすると社の業績が急速に悪くなり始めていることが見えてきました。これはまずいと思って調べていくと、主力商品だった複写機の競争力が失われつつあることが分かりました。

 折しも世の中がデジタル化に移りつつあった頃です。その象徴が、日本でWindows 3.1が登場したことです。1993年の5月でした。ちょうど研究開発部門ではそれまでのアナログ技術を使うのではない、デジタル技術を使った複写機を開発し終えていました。アナログ技術だと倍率を変えるといってもそのパターンには限界がありましたが、デジタル技術を使えば、横方向だけ広げるとか、機能のバリエーションが広がるわけです。

 リコーは、そのデジタル技術を使った次世代機で巻き返しを図ろうという方向を固めました。そうすると次のテーマとして挙がるのは、初めて手がけるデジタルの製品について、どうやって品質や信頼性を高め、かつコストを抑えて作るかということです。正直申し上げて、アナログの世代の製品では、他社にコスト面で負けていました。ですから次世代機では絶対に負けるわけにはいきませんでした。

業務改革につながった業績悪化

 そのような意気込みで取り組みはじめたのですが、次世代機といってもアナログ機をベースにしていたものですから、そのままではデジタル化した部分のコストがまるまる増大してしまう。ここを低減しなければ市場で勝てない。そこで、全社のプロセスを見直す業務改革の取り組みを始めました。

日高:具体的にはどのような取り組みから始めたのですか。

遠藤:デジタル化する部分はパソコンに近いアーキテクチャでした。当時リコーは日本IBMと共同でパソコンを製造していましたので、パソコンと部品を共有し、コストを削減することにしました(本誌注・1990年にリコーと日本IBMは合弁会社「ライオス・システム」を設立。B5サイズのノート・パソコン「チャンドラ」を共同開発していた。ライオス・システムは1999年3月末に解散)。

 ところがパソコンと複写機では商品のライフサイクルが違う。当時でもパソコンは1年ほどの商品ライフしかなかった。複写機は最低でも2~3年です。複写機を開発しているときに、パソコンに使う共用部品を選定しても、量産のタイミングでは、パソコン側ではもう使っていない。つまり、複写機を開発する時点で、将来量産するときにパソコン側でも最盛期を迎えている部品を選ぶ必要が出てきたのです。

 これを達成できれば、適切な部品を安く使える。難しいが、何としてでもやらないといけない。そこでいろいろ考えまして、標準化やITを使ったさまざまな業務改革につながっていったわけです。

日高:業務改革には、チームで取り組んだのですか。

遠藤:チームでみんなの意見を取り入れるとうまくいくケースと、逆に誰かが独断と偏見で進めてこそうまくいくケースの両方があります。先の複写機のケースは、私が独断で進めたケースでした。みんなが無理だと反対する中、知らん顔しながら数人で始めました。みんなに聞いても分からない。なぜなら、みんな分からないのですから。

日高:遠藤さんがいくら優れた能力を持っていたとしても、これだけの規模の会社で、全社的に業務改革の活動を展開するのは難しかったのではないですか。

遠藤:当時の売上高は1兆円足らずで、海外の工場も少なく、そこまで大きな企業ではありませんでした。それに業績が悪くなってきていたこともあって、社内では大胆な改革を求める声もありました。そうした中、私の考えを支持してくれる人がいたわけです。

 業務改革の活動を通して、人材はものすごく成長しました。リコーは2004年度に増収減益を経験しましたが、そこから立ち直る時の原動力になったのは、そうした人材です。振り返ってみると、企業にとって業績の悪化はチャンスと言えるのではないかと思います。調子の良いときは、なかなか変わることはできません。

日高:遠藤さんが業務改革の必要性を感じるようになったきっかけは何だったのですか。

遠藤:私は入社した頃(1966年)から、今で言う業務改革のようなことをやってきました。そうしたことの積み重ねが、結果として業務改革への取り組みにつながったのだろうと思います。

 私は大学の専攻が経営工学でした。開発から生産に至る工程を改善したり、経営上の問題を科学的に解決したりする学問です。私の父親がその専攻の教授でして、私は学生の時から論文の清書を手伝ったり、工場に行ったりしていまして、「門前の小僧」のごとく勉強していました。

 そんな経緯を汲んでくれたのか、私はリコーに入社するとすぐ「生産管理をやれ」と言われました。当時、まだリコーは小さな会社でしたから、生産管理の専門家がいませんでした。ですから現場の仕事にはたくさん直すべきところがありました。納期を守る、コストを下げる、品質を高めるために、私はどこをどうすれば良くなるのか、実地で一生懸命考えざるを得なかったのです。