Great Place to Work Institute Japan 斎藤智文

 米国に本拠を置く調査会社のGPTW(Great Place to Work Institute)は,1998年から毎年1月に,米経済誌フォーチュンに「最も働きがいのある会社ベスト100」を発表している(関連記事1関連記事2)。昨年の調査では約500社が参加申請を行うほど注目度が高まっている。日本では昨年初めて「働きがいのある会社」の調査を実施,結果は日経ビジネスの2007年2月19日号に掲載された。

 GPTWでは,「働きがいのある会社」を次のように定義している。

 「従業員が勤務している会社や経営者・管理者を信頼し,自分の仕事や商品・サービスに誇りを持ち,一緒に働いている仲間と連帯感を持てる会社」。もっとシンプルに言うと,“会社・経営層と従業員の間に信頼関係が築かれた会社”である。

 高い給与や福利厚生,快適なオフィスなどは,とても大切な要件ではあるが,それよりも組織の中で働く人間にとって,本当に「働きがい」を感じるのは,自分の勤務する会社や経営者を信用できること,一人の人間として会社から尊敬されていること,えこひいきなどのない公正な評価が行われていることである。

 GPTWの創設者であるロバート・レベリングは,かつてジャーナリストだった時,『Best Company to Work for(最も働きがいのある会社)』という本を書くために,延べ7年の歳月をかけて全米の数百社の企業を訪問し,数千人の従業員にインタビューした。この書籍は1冊目が1984年,2冊目が1993年に発行され,共にベストセラーを記録した。

 この時のインタビュー経験が基となって,「働きがいのある会社」とは何かを考察・検証し,現在の定義ができあがった。調査に使用する設問項目も,一部の専門家が頭で考えたものではなく,様々な業種の会社に勤務する,様々な職種の,様々な年齢層の,様々な人種の従業員が発する生の声がベースになっている。

 多くの経営理論は,「経営者と従業員の関係」を考慮に入れずに,「従業員と仕事,あるいは直属の上司との関係」を重視してきたのは否めないだろう。しかし,この膨大なインタビューの結果,経営にとって最も大切なことは,「会社・経営層と従業員の信頼関係」にあることが分かったのである。今は世界30カ国以上で「働きがいのある会社」の普及活動がなされており,各国で大きな関心を呼ぶと共に,賛同する経営者が増えている。

「働きがいのある会社」の株価は上昇する




図1:Russell Investment Groupでは,「ベスト100」の株価上昇率の算出のために“100 Best Reset Annually” と“100 Best Buy and Hold”の2つの方法を使った
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 米国では「フォーチュンベスト100」の影響力はとても大きい。大学教授や民間シンクタンクの研究者などが,「ベスト100」に入っている企業を研究し,数多くの論文が発表されている。

 中でも,Russell Investment Groupの証券アナリストが,「ベスト100」に入っている株式公開企業の株価の推移を検証した結果は大きな注目を集めた。それらの企業の株価上昇率は,主要な株価指数をはるかに超え,投資収益率が極めて高いことが明らかになったのである(図1)。

 Russell Investment Groupでは,「ベスト100」の株価上昇率の算出のために“100 Best Reset Annually” と“100 Best Buy and Hold”の2つの方法を使った。前者は,「ベスト100」に含まれる株式公開企業に投資し,年末に一旦清算し,その売却代金を翌年の「ベスト100」に含まれる株式公開企業に投資するというリセット型で試算したもの。一方,後者は1998年最初に発表になった「ベスト100」に含まれる株式公開企業に投資し,それらを清算せずに現在まで保有し続けるという買い持ち型で試算したものである。

 検証の結果,98年~06年の「ベスト100」の株価上昇率は,リセット型で14.16%,買い持ち型で10.65%になり,同期間のS&P500(スタンダード&プアーズの代表的な株価指数)の5.97%,Russel 3000(ラッセル・インベストメント・グループの代表的な株価指数)の6.34%を大きく上回った。

 「働きがいのある会社」の調査では,当然ながら「株価」は評価項目に入っていない。「会社・経営層と従業員の信頼関係」を中心に調べ,高い信頼関係が築かれている会社を評価している。にもかかわらず,「働きがいのある会社」は株価上昇率が非常に高く,財務的にも成功を収めている会社が多いことがわかった。

優秀な人材が定着し,企業競争力が高まる

 アジレント・テクノロジーズでチーフ・タレント・オフィサーを務めていたことがあるジョン・サリバン博士は,サンフランシスコ州立大学の教授だった2003年1月に,「『フォーチュンベスト100』に入ると,どういうメリットがあるか」をテーマにした論文を発表した。

 その論文の中でサリバン博士は,「働きがいのある会社という評価を受けると次のようなメリットがある」と述べている。

 まず「雇用ブランドが高まる」。自社の知名度が上がり,交流のなかった他の会社に連絡をしても丁寧に対応してもらえるため,「他社のベンチマークがしやすくなる」。「高い資質を持った人材の応募が増える」。ホームページだけでも十分な採用候補者が得られるので「採用コストの節減になる」。「人材の定着率が高まる」。知名度が上がるだけでなく,「働きがいがある会社」は顧客サービスがいいというイメージが一般化しているので,「営業力が高まる」。さらに,「人事部の社内での存在感が向上する」といった効果も示されている。

 このように,専門家に「ベスト100」に入るメリットを論理的に説明してもらうのは,大変ありがたいことだ。しかし,そうした副次的なメリットもさることながら,「働きがいのある会社」になること自体のメリットが非常に大きいことをよく理解してほしい。

 「ベスト100」に入るかどうかは別として,「働きがいのある会社」であること,「働きがいのある会社」を目指すことが経営の王道──こう考える経営者は,アメリカでは確実に増えている。

 GPTWが「ベスト100」に入った企業を継続的に調べて分かったことは,【質の高い人材の確保】【優秀な人材の離職率の低下】【顧客満足度,カスタマーロイヤリティの向上】【イノベーションの促進】【創造性の発揮】【リスクテイクできる人材の増加】などで,高い優位性を保っており,どの企業にも共通に見られる特長である。結果として,【生産性の向上】と【収益の向上】につながることも分かっている。

米国の「働きがいのある会社」は社員の定着率が高い

 今,日本では,新卒社員の30%以上が入社3年以内に退職すると言われている。これに対し米国では,10年以上前からリテンションを重要な課題として位置づける企業が多い。リテンションとは,「従業員が高い意欲を持った状態」で,自社で働き続けてもらうこと」が、当時から人事政策の大きなチャレンジという表現をしていた。最近は日本企業でも、このリテンションが大きなテーマになっている。

 「フォーチュンベスト100」に入っているIT関連企業の自発的離職率を見ると,とても低い数字になっていることが分かる(表1)。自発的離職率とは,過去1年における正社員の自発的離職者数(定年退職を除く)を正社員数で割った数値のことである。「シスコシステムズ」「SASインスティチュート」「マイクロソフト」「クアルコム」の離職率がとりわけ低く,リテンションに成功していることは特筆すべきだろう。特に「クアルコム」が今年発表した1%という数字は驚異的と言うしかない。


表1●「フォーチュンベスト100」にランクインした主要IT企業の自発的退職率

企 業2007年
順位
自発的退職率2006年
順位
自発的退職率2005年
順位
自発的退職率2004年
順位
自発的退職率2003年
順位
自発的退職率
シスコシステムズ11位5%25位4%27位3%28位2%24位3%
SAS
インスティチュート
48位4%30位4%16位4%8位3%19位4%
マイクロソフト50位6%42位回答
なし
57位5%25位回答
なし
20位4%
クアルコム14位1%23位4%17位3%55位4%18位6%
ネットワーク・
アプライアンス
6位12%27位8%24位8%48位6%39位5%
テキサス・
インスツルメンツ
87位5%83位5%86位4%91位2%95位6%
アドビシステムズ31位6%13位5%6位6%5位4%
オートデスク81位5%52位4%
インテル97位4%46位9%28位10%
ザイリンクス5位5%10位4%4位4%
※注 「-」はランク外



図2:米国の自発的離職率の産業平均は,「ベスト100企業」よりも全産業にわたって高い。特にIT関連企業の離職率は2倍以上
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 また,昨年の米国のIT関連企業の平均離職率は,同国の労働統計局(BLS)のデータによると19%である。これに対し,「ベスト100」に入っているIT関連企業の離職率の平均は9%である(図2)。

 1998年の第1回目の調査から,10年連続で「ベスト100」入りしている会社は,すべての業種を合わせても18社しかない。「シスコシステムズ」「SASインスティチュート」「マイクロソフト」はその中の3社である。また「クアルコム」も,99年から連続して9年間,「ベスト100」に入っている。

 2005年4月,サンフランシスコで開催されたGPTWの年次カンファレンスで,「ザイリンクス」のCEO(当時)であるWim Roelandts(ウィム・ロレンツ)氏が発言した内容が,今も鮮明に記憶に残っている。

 「世の中には,結果やパフォーマンスを第一に挙げる経営者がいるが,それは間違いだと思う。経営者は財務的な成功を収めるのが使命だが,結果を求めるだけで結果が出るわけではなく,あくまで結果が出せるような環境や企業風土を作らなければ,従業員は高いパフォーマンスを発揮できない。成果をあげたいのなら,経営者はまず『働きがいのある会社』を作り上げないといけない」──こういう主旨の講演で,会場から万雷の拍手を受けていた。

 この年次カンファレンスは毎年参加者が増え続けている。この盛況ぶりを見ても,米国の経営者の関心が高まっていることは明らかだ。ぜひ日本企業も「働きがいのある会社」を目指し,結果として高い財務的成功を収めていただきたいと願っている。