尾関雅則氏は我が国の情報化を牽引したリーダーの一人である。国鉄時代には本格的なプロジェクトチームを作り、大型コンピューターを使って、みどりの窓口の座席予約オンラインシステムを開発、1973年1月に完成させた。2007年現在も、IT関連の勉強会などに顔を出し、発言や質問をされている。

 その尾関氏は10年前、73歳の時に「オゼのホームページ」を開設、情報化やプロジェクトに関するエッセイを執筆した。今回、本サイト上に、オゼのホームページを復刻する。前回に続き、今回も「パソコンシステムについて」と題された一連のコラムを紹介する。このコラムの主旨について尾関氏は次のように記していた。

 「パソコンが世に現れてから、すでに20年以上の時間が経過しました。パソコンの生産額が、昔のコンピューターのそれを超えたのは、もう数年前のことだったと記憶しております。今や、コンピューターといえばパソコンのこと、と言うのは常識となりました。そして、インターネットの出現により、世はパソコン&ネットワークの時代に入りました。この現象が今後の世の中をどのように変えていくのでしょうか?情報システムの来し方、行く末を、考えてみたいとおもいます」


 パソコン(パーソナルコンピューター)とオフコン(オフィスコンピューター)はどこが違うのでしょうか。勿論、同じコンピューターなのですから、ともにハードウエアは二進法の原理で動いております。この点は全く同じです。違うのはソフトウエアに対する考え方です。と言っても、ソフトの原理が違うわけではありません。制作や販売の考え方、またユーザーの使い方に対するメーカーの期待など、事業そのもののフィロソフィーがまったく違うのです。

 メインフレームと呼ばれた昔のコンピューター事業の考え方は「ソフトはハードのおまけ」というものでした。つまり、ハードの値段にシステムのサポートやソフトの制作費なども含まれていたのです。当然、このソフトはハードを購入していただいた貴方のためだけに作られたものであったわけです。

 メインフレームからオフコンの時代になると、ハードの値段が下がったため、同じソフトをN社のユーザー企業に買っていただかないと利益が出なくなりました。このことを「N倍化」と言っていました。Nは10未満であることが多かったと記憶します。

 これに対し、パソコンはその生い立ちからして、オフコンやメインフレームとはまったく違っております。なにしろ、最初のパソコンはガレージの中から生まれた、と言われているように、担当するメーカーがそもそも異なっていたのです。日本では、同じメーカーがパソコンとオフコンの両方を手がけていましたが、異なる事業部がそれぞれ担当していました。

 パソコンを扱う事業部では、はじめから、ソフトは当然ユーザーが作るもの、と決めていました。「自分で作ることがいやな人はソフト屋さんから買ってください」と言うのが当たりまえの世界から、パソコンは生まれてきたわけです。

 ソフト屋さんの方は当然、同じソフトを沢山売ろうとします。ソフトはコピーが出来るので、一個作るのも十万個作るのも、原価はほとんど変わらないのですから、当然と言えます。最初の一個の原価は十億円でも、十万個売れれば、一つ一万円で引きあう筈です。

 昔のコンピューターはハードを売るためにソフトが存在した。 それに対して、パソコンでは「ソフトを売るためにハードが存在する」。こう考えると両者の本質的な違いがよく理解できると思います。

(1997年10月7日公開)