本欄の第1回目「情報システムは経営に貢献していない」において、ドラッカーが指摘する「重要な情報は、現在の情報システムでは得られない」という問題を考えた。その理由としてドラッカーが「現在の情報システムが与えてくれるものは社内の情報である。成果が生まれるのは社外においてである」と述べていることを紹介した。
 この問題を引き起こしている、もう一つの理由があると思う。それは、情報を生かすマネジメントが足りないことである。ドラッカーの著作を参照しつつ、今回はマネジメントの意義について考えてみたい。
 企業の内部における必要な情報がリアルタイムに入手できる体制が整いつつある。企業内の様々な情報をまとめてみる道具の一つであるERPパッケージ(統合業務パッケージ)の導入状況に関して、「日本の大企業においてほぼ一巡した」という調査結果が出ている(2006 パッケージソリューション・マーケティング便覧、富士キメラ総研)。
 ITによって迅速かつ大量に得られるようになった情報をどのように経営に生かしていくべきだろうか。ドラッカーはそのための知識がマネジメントである、と述べている。『ポスト資本主義社会』(上田惇生+佐々木実智男+田代正美訳、ダイヤモンド社)に次のような箇所がある。

 250年前にはじまった知識の意味の変化が、再び社会と経済を大きく変えつつある。
 今や正規の教育によって得られる知識が、個人の、そして経済活動の中心的な資源となった。今日では、「知識」だけが意味ある資源である。
 もちろん伝統的な「生産要素」、すなわち土地(天然資源)、労働、資本がなくなったわけではない。だがそれらは、二義的な要素となってしまった。それらの生産要素は、「知識」さえあれば、入手可能である。しかも簡単に手に入れられる。
 そして、そのような新しい意味における「知識」とは、効用としての知識、すなわち社会的・経済的成果を実現するための手段としての知識である。
 この変化は、それが望ましいかどうかは別として、もはや元に戻すことのできない一つの変化、すなわち「知識の知識への適用」の結果である。
 これが「知識」の変化の第三段階、そしておそらくは最終段階である。
 つまるところ、成果を生み出すために「既存」の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識こそが、「マネジメント」である。

 以上の引用部分に、知識という言葉はあるが、情報という言葉はない。情報と知識は区別しなければならない。情報はデータが整理されたものであり、知識とは情報により導かれた価値を指す。一橋大学の竹内弘高教授は「何らかの相互理解と価値の共有を進める社会的プロセスがないと情報は知識にならない」と主張する。
 相互理解と価値の共有を進めるものは、機械でもコンピュータでも無く、人間である。つまり我々は「情報を知識に換え、知識を利益に換える」(カーネギーメロン大学のロバート E.ケリー教授)ことに取り組んでいかなければならない。
 知識から価値を創造する経済構造となった現在、マネジメント無くして経済価値を生み出せない。ドラッカーはこう主張する。重要な情報が出てこないのは、外部の情報が不足しているからだが、情報を知識へ転換し、知識を成果につなげるマネジメントが足りないことも大きいのである。