課長に「2週間で顧客との関係を構築してみせる」と宣言した坊津君ですが、果たしてどうなることやら。話は、オフィスから坊津君と猫柳君が出てきたところから続きます。2人は事務所近くの居酒屋ののれんをくぐりました。カウンターが5~6席、4人掛けのテーブルが2つという小さな店で、2人はいつも通りカウンターに陣取りました。


「さすが坊津先輩、かっこいいっすね」猫柳君がおしぼりで顔をふきながら言いました。「おれ、感動しちゃいましたよ」
「まあな。オヤジさん、ナマ2つね」と坊津君が注文しました。
「あいよ。あと適当でいいかい?」
「2、3品でお任せしまーす。」と猫柳君が言いました。
 早速、冷えた生ビールが2人の前に運ばれてきました。よほど空腹だったのか、小鉢の肉じゃがを一気に口の中にかきこみながら猫柳君は続けます。
「さあ、作戦会議ですよね。わくわくするなあ。で、どうやってお客さんとの関係を作るんですか?」

「え?」
「さっき課長の前で『やってみせるから』ってタンカ切ってたじゃないですか。あれですよ」
「そんなの…考えてねえよ」
「またー、なんか作戦あるんでしょ?」
「ないよ、バカ」
「はぁ?」
「勢いだよ、勢い。なんかこう、熱いもんがガーっとこみ上げてきちゃってさ」
「あーもうダメだ。この人、勢いだけだよー」
「仕方ねえだろ、ああでも言わなきゃ、課長は提案させてくれねえし。そういうお前は考えあんのかよ」
「考えなんてないっすよ。分かんないもん。そもそも顧客とのカンケーって何ですか?」

「そんなことも分かんねえのか…。そりゃ、あれだ。あの、その、お客さんと仲良くなるってことだ」
「仲良くって?」
「そりゃあ、仲が良いってことで…いちいち聞くんじゃねえよ。お前ね、ちょっとは自分で考えろよ」
「あ、やっぱり課長の言ってること、分かんないくせに勢いだけで…」
「なんだと、このヤロー」
「ああ、終わった…」
「オヤジ、空いてるか?」猫柳君が絶望しているところに入ってきたのは、第一営業部の鮫島部長代理です。
「お、これは、これは、第三営業部の若手お二人じゃないの? どうなの相変わらず売れないで困ってんの? むひょひょ」

(イラスト:尾形まどか)

 小柄で甲高い声を出す鮫島代理の後ろから、恰幅のよい鯨井部長が入ってきました。2人とも50代。なんとなく好対照で昔の学園ドラマの校長と教頭を思い出させるな、と彼らを初めて見た猫柳君は思いました。
 坊津君は小さな声で「イヤミなのが来た」と、ささやきました。第三営業部ができるとき最後まで反対したのが、この2人だという話です。

「あまり、そういうこと言うものじゃないよ、鮫島代理。今のわが社では売れなくて当然。売れるわけがない。オヤジ、ビールだ」と鯨井部長。
 2人はドカッと奥のテーブル席に座りました。
「仰せの通りでございます。では、この小僧たちは給料泥棒ということで? ぐふふふ」

 話す内容もさることながら、いつも語尾を薄笑いでごまかす鮫島部長代理の話し方そのものからして、坊津君は嫌いでした。坊津君と猫柳君は軽く会釈したあと黙ったままです。
「えーっと、名前は坊津だったかな? 以前、開発部にいたな。2年ほどプログラマやってただけだから、開発に戻っても数字には貢献できんがねえ、ぐふふ」
「で、君はだれだっけ?」と鯨井部長が聞きました。
「はい、猫柳っていいます。今年の新人でーす」
 だれにでも愛想のよい猫柳君を、坊津君が横目でにらみます。
「おお、新人かね。ま、報われぬ努力も若いうちはいいものだ。苦労してくれたまえ。第三営業などは常務の気まぐれで作った部署。そのうちなくなるから、ウチに呼んでやってもよいぞ」と、ビールをあおりながら鯨井部長が言いました。
「おお良かったな、猫柳君とやら。鯨井部長がそうおっしゃっておるのだ。大船に乗ったつもりで困ったことがあったら相談しに来なさい。お荷物部隊の隊員たちよ、ひょひょひょ」

 坊津君が食ってかかろうとしたとき、グッドタイミングで店のオヤジさんが注文を聞きに来ました。
「あの、ところで第一営業って何やってんですか?」注文を済ませて、明るく猫柳君が聞きます。
「バカモノ、当社の稼ぎ頭の部隊を知らんのか」鮫島代理がむっとして言いました。
「あ、はあ、新人なもんで、えへへ」
「第一営業部はIBWと伊立製作所のビジネスパートナーとして開発の仕事をいただいておるのだ。全く最近の若手は・・・」

 鮫島代理が言い終わる前に坊津君が口を挟みました。
「違うでしょ。孫請け、ひ孫請けでしょ。あっちはパートナーなんて思ってないっすよ」
「いちいち口答えするんじゃない。大手メーカーとの付き合いにかわりはないんだ、ひょひょ」
「ふん、提案もできない下請け営業のくせに」
「もう、坊津さん、だめですよ」先輩をなだめながら猫柳君は考えました。この2人から関係作りのヒントを教われるのではないだろうか、と。
「じゃ、おふたりはべテラン営業ってことですね」
「そうだよ、新人君。分からんことがあれば何でも聞きたまえ。鯨井部長は天下のIBW出身なんだよ」

「へーっ。ではお尋ねしますがお客様と2週間で信頼関係を構築するにはどうすればいいのでしょうか?」
「そんなもん無理」と鯨井部長。
「そこをなんとか…」と猫柳君が食い下がります。
「そうだな。それではシステム知識で勝負しなさい。SEと同じかそれ以上知識があると相手が分かると信用してもらいやすい」と鯨井部長が言いました。
「あ…ダメですね。坊津さんはプログラマ歴2年だし、僕は新人だし」
「そもそも営業はSEを経験してからでないと使い物にならんのだ、ぐふふ」と鮫島代理。
「あ、だから第一営業の人ってみんなジジイなんですね」と皮肉っぽく坊津君が絡みます。

 しかし猫柳君はマジメに受け答えします。
「ほかの会社でもSE経験がない営業マンでスゴイ人たくさんいますよ。第一、うちの中田課長だってSE経験は一切ないです」
「中田か。あんなのは口がウマイだけ。加納専務に取り入って拾ってもらっただけだよ。全く見習いたいね、ひょひょっ」
 取り入るのが専門で、それしかできないのは鮫島さんアンタだろうが、と坊津君は思いました。
「ま、あまりそういうことは言わんほうがよい。そうだなワシがIBWの頃は、業界研究をしていたな」
「え? 業界研究ですか?」と驚く坊津君。
「業界全体を調べて売り込む企業のポジション、悩み、問題点などをレポートするわけだ。コンサルタント営業の取っ掛かりだ。それをやってみたらどうだ」と鯨井部長が言いました。
「うーん。いいかもしれない」と猫柳君。
「さっそくやってみよう」坊津君は言うやいなや「ごちそうさんっす!」と伝票を置き、猫柳君を引っぱって店を飛び出しました。
「今夜は徹夜だな。猫柳は本屋で業界研究本を買ってこい。おれは先にオフィスでネットを調べておく」
「ラジャーです」2人の長い夜が始まりました。2人とも酔いはすっかりさめてしまっていました。

 翌日、今回の提案先、平成スタッフの応接室で坊津と猫柳は、情報システム部長や課長らにプレゼンをしていました。
「えー、ここまでが御社における問題点でして、次がその解決策の…」
「ちょっと待ってください。もう結構です」平成スタッフの情報システム部長が発言しました。
「え?」
「貴社にそういうことは期待していないんですよ。どうやら貴社を選択肢に入れたのは間違いでした」部長はそう言い残し、課長を連れ部屋を出て行ってしまいました。
「これではおたくを入れた私の立場も悪くなるなあ」と、1人残された担当者が座ったままぼやきます。
「出直してよ」
 昨日の徹夜は何だったのか? 自分が浅薄で情けなく感じる坊津君でした。(次回に続く

今号のポイント:プライム営業は下請け営業とは全く違う

 顧客と直接契約することを目的とした営業を「プライム営業」と呼ぶが、ITサービス会社では下請け営業がほとんど(プライム営業とは、以前ならメインフレームメーカーの営業のことだった)。プライム営業と下請け営業は、同じ業界で、営業という同じ呼称で呼ばれていても、全く異なる職種と考えたほうがよい。何がどう違うかはこの表を見ていただきたい。その違いが分かるはずだ。だから、プライム営業を育てたいと思って自社の営業部長に若手を預けても全くのムダである。それが間違いであることは、預けた若手が3人くらい辞めて初めて気付くことになるだろう。

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。