第三営業部に新人がやってきました。「りえピー」こと後藤理恵子さんはスーパーポジティブな女性。部内に様々な波紋を投げ掛けつつも、次々と客先訪問をこなします。そんなある日、小野瀬食品から提案依頼を受け、中田課長の同行で意気揚々と客先に向かいますが、先方は「そんな話をした覚えはない」と言います。ぼう然とする後藤さんですが…。


「まあ、そうクサるな」
 小野瀬食品を出た中田課長と後藤さんは、駅までの道を歩き始めました。ふくれっ面なのか、半泣きなのか。歩きながらでは、後藤さんの表情はよく分かりません。
 結局、中田課長が小野瀬食品の情報システム部長に聞いてみると、こうでした。もう10年以上、IBWを使い続けている、いわゆる「ガチガチ」のIBW ユーザーでホストコンピュータの切り替えの検討も、新しいサブシステムの検討もなかったのです。中田課長には予想されたことだったのですが、それが後藤さんにはショックで、何が起きたのか分からない様子です。

「でも、あたし、嘘なんてついてないです」やっと口を開いた後藤さんです。
「だれも君が嘘つきだなんて言っていない」
「早とちりもしてません!」
「分かってる」
「本当ですか?」彼女が少し涙声になっているのが分かりました。
『うわわわ。泣くなよ』と思いながら中田課長は話します。「部下の報告が嘘か本当かを見分けられないようでは、営業のマネジャーは失格だよ。それに、新人の報告が嘘かどうかなんてすぐ分かる」
「信じてもらえるんですか? でもそれじゃ、あの人たちが嘘つきってことになりますよ。お客さんを嘘つき呼ばわりするんですか?」

「…客は嘘をつくんだよ」
「え?」
「お客さんは嘘をつくもんだって言ったんだ」
いつもお客様との信頼関係が大事だと言っている上司の口から意外な言葉が出てきたので、後藤さんは少し面食らいました。

「どうしてですか?」
「じゃ、聞くが、なぜお客さんは君に本当のことを言わなくてはならないんだい?」
「だって…嘘つきは泥棒の始まりです」
「あはは。じゃ質問を変えよう。最近どこかの店で、店員に『予算はいくらですか?』って聞かれたことはないか?」
「えーっと、去年、卒業旅行で東南アジアに行ったんですけど、そのときに何度も聞かれました」
「どう答えた?」
「それはもう…適当なこと言いましたね」
「どうして?」
「だって、ロレックスが1万円でいいとか言うんですよ。ニセモノですよね。胡散臭いじゃないですか」
 卒業旅行の話を始めて、後藤さんの声に少し明るさが出てきました。

「いいか、よく聞け。買い手は嘘をつく場合は、次の3つのパターンだ。1つ目は商品サービスの対価が分からない場合、2つ目は売り手のことを信用できない場合。3つ目はその売り手から買う気がない場合」
「そうすると…あたしが嘘をついたのは…」後藤さんはなんだか、機嫌が治ってきたようです。
「そもそもコピー商品に正価なんてない。売り手は怪しい露天商で日本語もいい加減。それからたいして買う気もなかった、だろ?」
「えへへ、ズバリ。3つ全部に当てはまりますね」
「ところで、コンピュータシステムはその対価が非常に分かりにくいんだ。ROIって、勉強しただろう。その投資対効果を計測する手法だけで、本が何冊も書けるくらいだ」

(イラスト:尾形まどか)

 中田課長は話を継ぎます。
「簡単に言うと、ハードとソフトの価格構成が劇的に変化したことが大きな要因だ。つまり半導体技術が革新し、ソフト開発手法などが進歩した。インターネットの普及でネットワークの仕組みも変わった。それにICタグに見られるように、システムの範囲が今までの既存の概念ではとらえられないものに…」
「課長、全然簡単に言ってくれてませんよ。分かるように説明してください」
「す、すまない」どうやら中田課長は彼女の機嫌を測りかねて、上の空で話し続けてしまったようです。

「じゃ、あっさり言うけど。ま、要は、相手は君から買う気がなかったんだよ」
「つまり…どういうことですか? いかがわしい露天商とあたしが同じだという意味ですか!」
「ま、ま、おちつけ。君に興味があったんだよ。でも買う気はなかった」
「あたしが可愛いからですか?」
「また始まった」
「え?」
「なんでもない。考えてごらん。情報システム部の人にとって、外から来てくれる営業は大切な情報源だ。取引のある営業の話ばかりでは、情報が偏るしね。受注したら来なくなる営業も多いしな」
「だから『自信もって行きなさい、有益な情報を持って行けば、新規訪問もへっちゃらだ』っていつも課長はおっしゃいますよね」
「もちろんそうなんだが、お客さんだって訪問を希望する営業全員とは会ってられない。だからお客さんは自然と話しやすい営業を選択するわけだ。」
「だから第一印象も含め、『人間的に信頼してもらえる営業』になれって…」
「そうだ。でも君の場合は信頼できる営業ではなく、話をしやすい営業…いやそれでさえない。『お茶の時間に来てくれる女の子』でしかなかったんだ。今日の結果から推察すると、キツイようだがね」
「そういえば、あたしは案件がないなら、お邪魔できませんって言いました」
「だから彼らは、検討案件があるって言ったんだろうね。仕方ない。まだ、女性の営業をそういうふうに見る人が多いのも現実なんだ」

『こういうことを正面から言うのは気が滅入ることだ』と中田課長は思いながらも、言葉を続けます。
「しかし、それが現実ならそれを逆手にとればいいと僕は思う。人材派遣会社の営業は女性が多いのを見れば分かるように、特にルート営業は女性のほうがうまくいく可能性が大きいのも事実だ」
「でも課長、『寿退社するんだろう』とか『子供ができたら辞める』とか…『だから大事なシステムの相談なんてできない』今まで黙ってましたけど、そういうふうに言われたことあるんです」
「そんなこと気にしてたのか? そもそも、この業界は優秀な営業ほど転職する確率が高いんだ。担当営業が辞めるのを気にするぐらいなら、ボンクラから買えって言ってやれ」
「そうですよね。あたしは優秀だし、可愛いし。鬼に金棒ってことですね。やった! また、やる気でてきました」
「いや、その、それはちょっと…」
「えっ、何か言いました? 課長」
「いや、なんでもない…」
 駅に着くまでに、すっかり明るさを取り戻した後藤さんは、中田課長と電車に乗り込みオフィスへの帰路についたのでした。

 同じ時間、平成スタッフの応接室では坊津君と猫柳君が2人でかしこまって座っていました。

「坊津先輩、どうなんでしょうね?」
「うーん。分かんねえよ。本当に、一体、何だろう。今日の急な呼び出しは? 見当つかないよ」
「プレゼンは来週ですよね。あ、だれか来た」
 入ってきたのは情報システム課長の広石氏です。チャンスを与えてくれたあの主任ではありません。

「どうもお世話になっております」と頭を下げる2人。
「本日は急に呼び出したりして申し訳ないですな。実はおふたりにお願いがありまして」席に座るや否や広石課長は話を切り出しました。
「実は概算金額を明日までに提出願いたいんですよ」
「ええっ」「明日まで?」と驚く2人。
「あ、もちろん分かる範囲で結構です」

 価格に興味を持ったら、それは買う意思の表れ。坊津君は昨日本屋で立ち読みした『あなたもこれで30倍売れる』の一節を思い出して、少し興奮しました。しかし、こういうときこそ冷静に質問をするのが肝要と思い直したとき、猫柳君が先に質問しました。

「それはまたお急ぎですね」
『やるなネコ。うまい聞き方だぜ。そうだよ、俺もそれが聞きたかったんだ』
「ま、それだけ御社に期待してるってことでしょうか」
「ありがとうございます。それではすぐにお持ちいたします」今度は坊津君が答えました。
『あーあ、先輩。そんな安請け合いしちゃっていいんですか。うちの開発部がすぐ見積もってくれるのかな? 中田課長はなんて言うだろう?』猫柳君が横目でチラッと坊津君をにらみました。
 なんにせよ急展開にドキドキの2人でした。(次回に続く

今号のポイント:営業にとっての“特性”

 例えば、学生のときサッカー部員だったというのは、営業にとって1つの“特性”である。サッカー好きなお客様と友だちになりやすいだろう。お客様と同い年というのも特性だ。毎週欠かさず見ていたテレビ番組の話とか、夢中で読んだマンガの話とかで盛り上がれる。「女性」というのも、そうした特性の 1つと考えられないだろうか。まだまだ偏見のあるお客様が多いのも事実だが、そういうふうに“軽く”考えればいいのにと思う。もちろん、「その特性を生かして接待時のホステス代わりに」なんてことを言ってるんじゃありませんよ、管理職の皆さん。えっ!うちの部下はそれどころか酒癖が悪くて接待に連れて行けないって? そりゃ大変。

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。