昨年ある大手ソフト開発会社に新設された営業チームは、若さとフットワークが売り物。派遣だけではジリ貧になると感じた専務が直属チームを作り、一昨年から直接ユーザー企業へのセールスに挑戦したがうまくいかない。そこで昨春、課長をライバル会社から引き抜き、新人も戦線に投入。さて勝負どころの 3年目、結果を出せるのかどうか・・・。


「お前なーっ、なんで人が話しているのに寝るんだー」
「寝てないっすよ!」
 3月とはいえまだ寒い日の第3営業部、午後6時。営業から帰ってきた坊津社員と猫柳社員が口ゲンカです。
「お前ね、客先で眠くなるのは分かるけど」と坊津くん。
「だから寝てないですよ!」
「おいおい、ただいまのあいさつもなしに、なにケンカしてるんだ!」 内藤主任がたしなめます。
「課長、聞いてくださいよ」
「あ、課長に言いつけるなんてひどいですよ! 先輩」
「あはは、打ち合わせ中に寝ちゃったのか」と内藤主任。
 猫柳くんは真っ赤な顔をしています。
「ま、新人の時は先輩とお客様の話がちんぷんかんぷんだからなあ。そんなの2時間も続いたら居眠りもするよね」と笑顔の内藤主任。
「でもこいつ、俺が話してんのに・・・」
「ま、そういうな。君だって以前・・・」
「あ、それは後輩の前では!」今度は坊津くんがあわてる番でした。
「眠そうにしていたら、話を振って起こしてやればいい。それも先輩の気遣いだよ」

 話題を転換したい坊津社員、カバンの中から書類を取り出しました。「それより主任! RFP(提案依頼書)をいただきました!」
「お、そりゃ提案のチャンスだね。どれどれ・・・」
 RFPは近年急成長している大手人材派遣会社からのものでした。
「予算は2億。範囲は人事給与と財務会計です。えへへ、いいビジネスですよねっ」
「おいおい、なんだこりゃ? 提案の納期が再来週じゃないか!」と内藤主任が顔をしかめました。
「だから開発部も巻き込んで一気に提案書、作っちゃいましょう!」
「2億ですよ、2億円! 実績は僕と先輩の半分ずつですよね」
「バカ、寝ているヤツには1円もやんねーよ!」
「先輩、ひどいっすよー」
「あー、もうウルサイ! 課長ちょっと打ち合わせコーナーでゆっくり見てみましょうか」と内藤主任が中田課長にRFPを渡しました。
「ん…これは…」
「早速開発部隊と緊急会議をしましょう。猫柳、みんなを呼んで来い」
「わ、俺、億単位の提案なんて初めてっすよ、先輩」とはやる2人を課長は制しました。
「いや、提案は…しなくてよい」
 中田課長はそれをパサッと机に置くと、そういって自席に戻りました。

(イラスト:尾形まどか)

 坊津くんは憤慨しています。猫柳くんはまだマフラーを首に巻いたままで涙ぐんでいます。
「課長、ひどいっすよ」と坊津くん。
「せっかくのチャンスじゃないですか!」と猫柳くん。
「もういい。そんなの放っておけ」 なおも課長は言い放ちます。「その案件はとれない」
「そんなの出してみなきゃ、分かんないですよ」
「出してみなきゃ分かんない、だと? 2億の案件の提案にどれだけ手間がかかると思っているんだ。2週間でやるとなると、その間、お前たち3人の他の営業活動は一切ストップだ。動員するSEの稼働だってタダじゃない。もっと原価意識を持て」
「でも、やる前からあきらめるんですか?」
「そうじゃない。そこまでやってもこの案件を受注する確度はほぼゼロだ、ということだ」
「なぜ、課長にはやる前から分かるんですか?」冷静に内藤主任が聞きました。
「僕が寝てたから、確度が下がったんだ。だから失注なんだ。わー」猫柳くんはもう泣いています。
「バカ、泣くな。お前のせいじゃない。まあ、みんなちょっとこい」

 中田課長は、打ち合わせコーナーに3人を連れて行きました。
 4人分の熱いコーヒーを猫柳くんが持ってきたのを待って、中田課長は話を始めました。
「坊津、この客。何回目の訪問だ」
「2回目です」
「きっかけは?」
「猫柳が電話コールで引っ掛けました」
「で、なんて話だったんだ。猫」
「はい。現在検討中だから来てもいいよって」
「そこまでは大したもんだ。ヒマを見つけては電話コールをしている猫柳の手柄だな」
「じゃ、なんでダメなんですか?」
「では聞くが、坊津。なぜ受注できるんだい?」
「そんなの分かんないですよ。提案内容を気に入ってもらって価格が安ければとれますよ」
「じゃもう1つ聞こう。営業としてはどうなんだ」
「は?」
「営業としての活動はどうなんだ? たった2回しか行ってないんだろ? 失注したときに営業としての反省はできるのか?」

「営業としての反省…?」 3人は首をかしげています。中田課長は続けました。
「ITだからといって技術だけで勝負してちゃダメなんだ。肝心なのはリレーションの構築。営業ができることは、そこだ。リレーションができてこそ、隠れた課題が聞ける。それが提案のキモになる。ところで、その会社は今どこのシステムを使っているんだ?」
「ジャパン電気です」坊津が答えました。
「では、少なくともジャパン電気の営業は5年以上その客と付き合っているわけだ。じゃ、5年間で何回、客と打ち合わせをしているのだろうね」
「…」
「飲みにも行っているだろうし、役員同士でゴルフというのもあり得る」
「じゃ、隠れた経営課題も分かっている可能性も高いってことですね」
 やっと内藤主任が口をはさみました。
「そうだ。大きなアドバンテージだな」
「でも、業界誌のCS調査を見てもディーラーを変えたいと言っているユーザーは50%だって、いつも課長は言ってるじゃないですか。だから半分はチャンスが…」と坊津くんが食い下がります。
「だからお前は早とちりだって言うんだよ」課長は続けます。「それは現行のシステムを良くしたい、そのための具体策の1つだととらえるべきなんだ。本当にディーラーに不満があるかどうか、その数字だけで断定するのは難しい。きっちり本音として聞けているのか?今回の案件ではジャパン電気は外されているのか?」
「いえ…聞けていません」と猫柳くん。
「やはり、競合状況も聞けていないのか…」と中田課長はため息交じりで言いました。

 肩身の狭そうな顔をする坊津と猫柳。
 沈黙を破って、内藤主任が冷静に話し出しました。
「現行のベンダーとお客様にきちんとリレーションができていれば、N対Nの人的交流も考えられますね」
「そう、それは水平、上下の両方だ」
「システム部、経理部、人事部が水平で」と内藤主任。
「役員や担当が上下ってことですね」 はっとした顔で猫柳くんが言いました。「ということは課長…」
「気がついたな。猫」
 中田課長は諭すような口調になってきました。「リレーションがあって初めて良い提案ができ、受け入れてもらえる土壌ができるわけだ」
「でも、僕らは新規案件ばかりを追いかけているし…」と坊津くん。
「だからコツコツ通って、リレーションを構築してからでないと、提案しても受注できる可能性は限りなく低いってことなのか」さらに内藤主任が続けます。「じゃあ、やはり降りたほうがよいってことなんですね」
 課長はチラっと内藤主任をにらんでから、天井を見ています。みんなも静かになってしまいました。沈黙を破ったのは坊津くんでした。
「ちょっと待ってくださいよ、課長。俺が今からリレーションを築きます。2週間でやれるだけやりますよ。課長、やらせてください」
「その言葉を待っていたぞ。よし。やってみろ。しかし俺がよいと思う状況になっていなければ、たとえ前日でも提案は中止させるからな」
「分かりました」
「俺は専務と何か会社として糸口がないか動いてみよう。内藤主任はできるかぎりSEの負担を減らす方向で提案の支援をするんだ」
「はい、やってみましょう」と内藤主任。
「そしてきっかけをつくった猫柳…おい、猫!」
「あ、すみません。みなさん難しいことばっかり話すからちょっとウトウトしちゃいました」
「バカヤロー!」 坊津くんのケリが入ったのと同時に、内藤主任のノートが飛びました。次回に続く

今号のポイント:重要なのはリレーションの構築
 様々な経営論で、営業の重要なファクターとして挙げられているのは「顧客とのリレーションシップ」である。とかくIT営業では、技術やノウハウが重視されがちだが、それはあくまで圧倒的な商品の差別化ができる場合に限る。果たして現在、そのようなプロダクト、サービスをあなたの会社はお持ちだろうか。業務・業種に関する知識があっても、システム構築経験が豊富でも、営業力がなければ相手に伝わらない。伝わらないと受注できない。あなたが過去に付き合ったコンサルタントを思い出してほしい。優秀なコンサルタントと儲かっているコンサルタントが一致しているとは限らないはずだ。

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。