本コラムは2005年7月27日、日経ビジネスEXPRESS(現・日経ビジネスオンライン)に公開したものである。マスコミの主要な情報源の一つは官庁である。マスコミにとって情報源は必要だし、官庁の意向を何でも否定してかかる必要はないと思うが、注意していないと、官庁の意向に沿った世論誘導をしてしまいかねない。さらに困るのは、その意向なるものが「官庁のマスコミ対策」だったりすることである。これだけでは分かりにくいと思うが、ぜひ以下の拙文をお読みいただきたい。

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 最近、新聞を読んでいて気になるのは、東京三菱銀行とUFJ銀行のシステム統合を巡る報道である。両行は2005年10月1日に経営統合し、同時に情報システムも統合する予定だが、いくつかの全国紙は統合作業を「綱渡り」と評していた。

 筆者は日本経済新聞社の子会社に勤務している。にもかかわらず全国紙を読んでいると、ムッとすることが多く、困っている。今回の「綱渡り」についてもそうであった。しかし、なぜ不愉快なのかをずっと考えていくと、矛先を自分自身に向けざるを得なくなってしまう。いささかとりとめのない内容になるかもしれないが、今回は筆者の思うところを開陳してみたい。恐らく長い原稿になるので、お時間がある時に読んでいただけたら幸いである。

 「東京三菱銀行とUFJ銀行のシステム統合作業は綱渡り」という表現を読んでムッとした理由は3つある。第1は、事実と違うと思うからである。少なくとも7月末現在、両行は統合作業を予定通りに進めており、決して綱渡りというような危機的状態ではないと思う。ただし「思う」としか書けないところが困る。「何をもってお前は問題がないというのか、証明せよ」と言われると窮してしまう。

 一方、新聞が「綱渡り」と書く根拠は、金融庁の検査結果である。記事の中に金融庁検査のことが出てくるからだ。通常、検査結果というものは非公開であるはずだが、なぜか金融庁の検査結果はタイムリーに記事になる。とっても不思議である。このあたりへの違和感が、ムッとする理由の第2である。

 3番目の理由は、当事者が真剣に作業を進めている段階で、外野から「綱渡り」と書くのはいかがなものかということだ。本当に問題があるなら、その事実をはっきり書くべきであろうし、それができないなら黙って見守るべきだろう。そもそも何をもって「綱渡り」というか、定義がない。問題があろうが、なかろうか、あるプロジェクトを外から見て、「綱渡り」と評するのは簡単であり、それだけに安易に書くべきではない。

2002年4月のシステム障害を振り返る

 筆者は非常に短気なので、新聞を読んで以上のような感想を一瞬にして抱いた。しかし、そこからさらに考えると、段々と気分が重くなってくる。筆者自身、企業が進めているプロジェクトについて、プロジェクト終了前にあれこれ論じた記事をたくさん書いてきたからである。

 金融庁が、東京三菱銀やUFJ銀に厳しく対峙しているのは、2002年4月に某銀行が起こしたシステム障害のことが念頭にあるからであろう。筆者は、2002年4月の1年以上も前、2001年正月に「某銀行の統合作業がうまくいっていない」という記事を日経コンピュータという雑誌に書いた。この時は、うまくいっていない事象を具体的に書いたつもりであるが、作業中に外から論じたことは間違いない。

 ここでわざわざ某銀行と書くのは、もう何度となくシステム障害と絡めてその銀行の名前が取り上げられているからだ。今さら伏せてもしょうがないかもしれないが、本コラムではこのまま某銀行として進める。