インターネットでの募集に応じて集まったのはインドネシアのプログラマ13名。インドネシアでフリー/オープンソース・ソフトウエアを開発しているYohanes Nugroho氏(コラム参照)が呼びかけた。日本からはLinuxカーネル開発者のひとり新部裕氏や,GPLの日本語訳で知られ,Debian GNU/Linuxプロジェクトのメンテナでもある八田真之氏,Debian GNU/Linuxプロジェクトの矢吹幸治氏などが参加している。
まず参加者は「私はこんなソフトを作っています」と自己紹介。「今日はこの部分を作ります」と宣言する。Aprian Diaz Novandi氏は,食料品販売のWebシステムを作るという。Eko Adi Wicaksono氏,Mohamad Octamanullah氏らは,独自開発の3次元グラフィックス・ゲーム・エンジンANGELを開発しており,その改良を行うと話す。Diki Andeas氏はRuby on Railsベースのグループウエアを作るという。toombilaという名前だ。Ahmy Yulrizka氏は教育向けディストリビューション,Lie Robert氏はプログラミング・コンテスト向けの採点システムを作ると話す。
プレゼンが終わると,持参したノートパソコンや教室のデスクトップパソコンに向かい,黙々とプログラムを書き,あるいはデバッグを始めた。
彼らはなぜ週末を潰してここに集まるのだろう。そして日本人ハッカーたちはなぜ海を渡り,ここまで来て,プログラムを書くのだろう。
それは韓国から始まった
CodeFestは,日本ではこれまでに4回,日本以外のアジア諸国で3回開催されている。Codefestの発祥の地は,実は韓国である。韓国のオープンソース・コミュニティ・サイトKLPD(Korean Linux Documentation Project)代表のKwon Soon Son氏が,韓国のハッカーの交流のために始めたものだ。
国際交流の場となった契機は2004年の12月。中国,韓国,日本の3国による北東アジアOSS推進フォーラムが韓国で行われた際,日本からOSS推進フォーラムに出席した新部裕らが,CodeFestというイベントがあると聞き,参加したことがきっかけだ。
それを契機に,CodeFestは日本で,またアジア各地で開催されるようになった。2005年2月に中国の北京で開催された北東アジアOSS推進フォーラム,2005年9月にスリランカのコロンボで開催されたアジアOSSシンポジウム,2006年3月のマレーシアのクアラルンプールのアジアOSSシンポジウムに合わせて開催されている。
日本では新部裕氏が理事長を務めるFSIJ(Free Software Initiative Japan)が主催し,東京と京都で合計4回のCodeFestが行われている。
そうこうするうちに,八田氏が「Wikiを立ち上げたので,皆書き込んでくれ」とホワイトボードにアドレスをメモ。Wikiに参加者のリストと作業中のプロジェクトの説明が書き込まれる。矢吹氏は,別の教室でDebianパッケージの作成方法の講義を始めた。参加者が熱心に聞き入っている。
北京,コロンボ,マレーシア
なぜメールやWikiやメッセンジャーだけでは不十分で,一個所に集まらなければならないのだろう。「プログラミングに専念せざるを得ない時間を作ることで開発が進む。そして顔を突き合わせることで意識を合わせることができる」と新部氏は言う。
国際交流の場として開催された最初の回である,2005年北京のCodeFestでは,主に文字入力システムの専門家が集まった。日本や韓国からUIM,SCIMの開発に携わっているプログラマが集まった。「一夜で変わったわけではないが,ここでディスカッションを行ったことで問題意識が共有でき,その後の開発が回るようになった」(新部氏)。
次の回,コロンボでのCodeFestでは,シンハラ語の入力メソッドの整備などが成果として上がったという。また参加者の中から,Debianのオフィシャル開発者になろうとしている人も出てきている。
昨年は,マレーシアでCD起動Linuxをテーマに実施。アラビア語版のライブCDを作り上げたほか,マレーシア版のKNOPPIX「MIMOS LiveCD」の高速化を行った(関連記事「マレーシアでのハッカーの祭典CodeFestで,現地版KNOPPIXを共同作業で高速化」)。