入社以来10年6カ月、日経コンピュータの記者として活躍(?!)していた戸川と申します。NCが25周年という節目を迎えたのと同時に、この10月から日経ソリューションビジネスの記者となりました。NCを離れるのは少し寂しい気もしますが、IT関連の記者という役割は変わりません。これまで通り、日経コンピュータを応援してください。もちろん、日経ソリューションビジネスもお忘れなく。前置きはこれぐらいにして、本題に入ります。

 これまで数多くの特集記事を書いてきました。今年3月20日号『自己改造に挑む』や、2003年6月16日号『ITコスト99の謎』、2000年3月27日号『ERPの“全社一斉導入”を急げ』、1999年3月1日号『西暦2000年問題ラスト300日の攻防』、1998年7月6日号『激化するパソコン・メーカーのサプライチェーン競争』などは、企画段階から取材、執筆のいずれにおいても思い出深く、わが子のようにかわいい作品たちです。これ以外にも、挙げ始めればキリがありません。

 いずれの記事についても、企画を立て、取材をし、執筆するうえで、私がこだわっていた視点は一貫していました。「ユーザー企業における情報化/推進組織のあり方」です。こうした私の取材スタンスを決定づけた仕事には、入社2年目に出会いました。それが「東京三菱銀行 巨大システム統合秘話」(1997年7月7日号)という、三菱銀行と東京銀行のシステム統合プロジェクトを追った記事です。この記事は単行本にも収録されています。

 この記事を執筆するために、当時、東京三菱銀行常務であった畔柳信雄氏にインタビューしました。畔柳氏が統合プロジェクトの総責任者だったからです。その後、畔柳氏は三菱東京UFJ銀行の頭取に就任されています。97年に行った畔柳氏へのインタビューを機に、私は「記者として飯を食っていこう」と腹をくくれたのではないかと思っています。「IT部門をもっともっと真剣に追いかけて、その人々の胸を打つような記事を書いてみたい」と。

 私の記者生活を決定づけたともいえる、畔柳氏とのインタビューの一部を掲載させていただきます。

 「なんだかんだ言っても、これからは世の中にある、すべての産業でシステム部の人間が本流になりますよ。今の時代、SEという仕事ができるなんて天職です。システムを構築する仕事は本当に重要なんです」。

 「SEこそが世の中の本流です」。この畔柳氏の言葉を胸に、私はその後、情報化組織のあり方に興味を抱き、1999年4月12日号においては、「激震!システム子会社」という特集を書き上げました。私自身、この作品を超える「システム子会社」関連記事はその後書けていないと思えるほどの力作です(ちょっと情けないのですが・・・)。

 もちろん他の事業部門を差し置いて、IT部門だけを持ち上げようなどという気はさらさらありません。でも、読者の中に、「IT部門は日の当たらない縁の下の力持ちにすぎない」と考えている方がもしいるとしたら、「それは違う」と申し上げたいのです。

 10年間にわたって多くのユーザー企業のCIOやシステム部長に取材させていただいていますが、経営センスに長けたビジネスパーソンとして活躍している方々は実在します。精力的に働き、プレッシャのきつい仕事を楽しんでいる(かのように思わせる)システム責任者は少なくありません。これまでは、IT部門というと地味で脚光を浴びていないきらいがあったのかもしれません。が、これからは違うと、私は信じています。そのきっかけが、畔柳氏とのインタビューだったのです。

 NC編集部をすでに離れたわけですが、日経コンピュータは、IT部門に注目し続け、光る仕事をしている人たちをもっともっと登場させてほしいと願っています。そして、ITの世界に身を置くことでしか経験できない仕事の面白さややりがい、苦労、苦悩、夢などを、読者に伝えていって欲しいと思います。私も新天地で、そのような気持ちを持ち続け、IT産業に刺激を与えるような企画を立て、取材・執筆していきたいと思います。

 ここまで書いた文章を読み返してみましたが、いささか堅く、生真面目なことを書いてしまったと、我ながら少し恥ずかしく思います。取材先でお会いしたことのある方々の中からは、「戸川本人が書いたのか?」と疑われそうですが、間違いなく戸川が執筆しております。「25周年」という重み、そして「入社以来10年以上在籍した」という個人的な思い出・・・。やはり日経コンピュータには特別な想いがあります。