筆者の会社の入り口に古いMacintosh(以下Mac)が置いてある。Macintosh Plusという一体型筐体のパソコンである。残念ながらもう起動しないのだが、オブジェとして抜群のデザインなのでずっと置いてあるのだ。

 筆者が経営するイントリーグという会社は現在ではITコンサルティング、特にRFP(提案依頼書)の作成やベンダー選定の支援を専門としているが、創業時はMacの仕事をやる会社であった。大学時代の友人が「Macでマルチメディアの仕事をやろう」と筆者を誘った。Macというパソコンとマルチメディアという言葉には魔法のような魅力があり、それまで銀行担当のSEとして汎用機を相手に仕事をしていた筆者は、同じコンピュータ業界(当時はITという言葉は使われていなかった)ながらも、まるで正反対の世界に飛び込んだのである。

 IBMを辞めて零細ベンチャー企業に移ったことは経済面では大変だった。また、仕事の内容も立場も変わり、精神的につらい時期もあったが、Macをいじる面白さ、楽しさはつらさを補って余りあるものがあった。

 小さなベンチャーとはいえ、Macは商売道具である。厳しい資金繰りの中でもMac IIfx、Quadraなどの当時の最高級機をそろえた。また、その頃Steve JobsがApple(当時Apple Computer)を離れて開発していたNeXTstationというワークステーションや、Apple初の携帯情報端末Newtonも誰かがどこかから入手していた。これらのマシンをいじっているとあっという間に時間が過ぎていく。創業時の事務所はわずか10坪程度と狭かったが、サンノゼあたりのベンチャーの雰囲気があり、ワクワク感に満ちあふれていた。

 システム開発のやり方もMacの世界では大きく異なっていた。マルチメディア系のクリエイティブな仕事をやるつもりで転職したのだが、稼げる仕事はSE経験を生かしたシステム開発案件であった。当時は、4D(4th Dimension)という開発ツールを利用した画像データベースの案件が多かった。

 ある会社の図書資料室で使う画像データベースシステムの開発案件でカナダ人のプログラマと組んだときのことである。このカナダ人は母国で弁護士資格を取ったがMacのプログラマのほうが面白いので職業に選んだという変り種であった。彼に限らず当時出会ったMacの仕事をしている人たちは個性的で、面食らうこともあったが、刺激を受けることが多かった。

 この画像データベースの開発ではプロトタイプ技法を採用した。まずなんといっても開発ツールの画面作成機能が秀逸で、ユーザーインタフェースに優れたグラフィカルな画面を簡単に作れてしまうのである。それまで汎用機によるウォーターフォール型の開発を見てきた筆者には衝撃的であった。プロトタイプを見ながら筆者とプログラマとユーザーで2時間程度のミーティングを毎週行い、要求の取り込みや修正を繰り返していった。

 もちろん、ユーザーと意見が合わなかったり、急な用事でプログラマがカナダに一時帰国してしまい納期が遅れたりと、トラブルも何度か発生した。しかし、「目の前に動くプロトタイプがある」ということのアドバンテージは大きかった。これがデザインや直感性に優れたMacの世界なのかと強く感銘を受けたことを覚えている。

 筆者が主にMacの仕事をした時期は1992年から1996年くらいの間で、その時期はAppleにJobsがいなかった時代である。しかし、その時代でも常にAppleの文化の中にJobsの存在を強く感じたものだ。また、筆者のキャリアを振り返ると、ベンチャー創業のエネルギーとAppleの自由奔放な文化が渾然となった、熱くて懐かしい時代である。

 あらためて、偉大な存在であったSteve Jobsの冥福を祈りたい。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長兼CEO、NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て、ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画、96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング、RFP作成支援などを手掛ける。著書に「事例で学ぶRFP作成術実践マニュアル」「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)、