立派なプレゼンテーションを行い、技術的な評価も得られた。他社に比べて遜色ない価格も提示した。それでも、顧客の組織内で最も力のある人があなたに勝ってほしくなければ、最終的には商談に負ける可能性が高くなります。勝率向上のために欠かすことのできない、顧客組織の政治力学を読み解く枠組みを紹介します。

 前回は、案件アセスメントに基づいた「競合戦略」を紹介しました。今回は、視点を顧客に移します。顧客組織内の政治力学をどのように読み解き、勝率向上のために、顧客内の“適切な人”へどのようにアクセスするかについての考え方を説明します。A社というメーカーのある事業部おける、新しい製造システムの導入検討プロジェクトを例に、顧客内の政治力学について考えてみましょう。

 検討プロジェクトチームのメンバーは、製造部門、設計部門、システム部門、販売促進部門の各課長で、プロジェクトリーダーとして製造部門の課長が任命されました(図1)。検討プロセスは、プロジェクトからの報告に基づいて、プロジェクトリーダーの製造課長の上司である製造部長が意思決定し、製造部長の上司である事業部長が承認する、というものでした。

図1●新製造システム導入を検討するA社の“公式な”組織
図1●新製造システム導入を検討するA社の“公式な”組織

非公式の意思決定プロセスに気付かず受注を失う

 ソリューションプロバイダB社の営業担当者は、大型受注を前に胸を膨らませました。A社の製造課長はB社びいきで、B社が競合するC社を徹底的に嫌っていたからです。製造部長もB社を応援してくれていました。「A社のキーマンは押えてある。事業部長の承認は単なる手続きだ。これは絶対に勝てる」。営業担当者はそう思っていました。

 ところが最終提案を終えたあと、製造課長の様子がおかしくなりました。心配した営業担当者が尋ねると、製造課長はポツリと答えました。

 「実は、営業部からD社の提案で検討するよう横槍が入っていて、製造部長も君の会社を強く押せないようなんだ。製造システムの検討なのに、販売促進課長がプロジェクトメンバーに入っていて、私も何かおかしいなとは思っていたんだけどね。何しろ営業部長は次期事業部長が内定している人だから、申し訳ないんだが今回は諦めてくれないか」。

 この瞬間B社の営業担当者は、営業シナリオの全面的な練り直しを余儀なくされました。しかし時既に遅く、営業部長との関係を構築していた競合のD社が、圧倒的優位を確保していました。

 どんな組織でも、価値観や動機の異なった個人から形成されています。そして個人が互いに影響し合いながら、組織としての意思決定がなされていきます。何でもトップが最終決定する組織もあれば、現場で影響力を持つ人の意見が、意思決定に大きく影響する組織もあります。

 そして、商談における勝率向上を目指すときに気を付けなければならないのは、顧客の人事制度上の役職や対外的に表明されている公式な役割と、実際の意思決定プロセスへの影響力とは異なる場合があるということです。A社の案件では、対外的には製造課長と製造部長の2人が意思決定の重要な役割とされていましたが、実際には、次期事業部長候補の営業部長が最も大きな影響力を持っていることが分かりました。B社にとって致命的だったのは、その非公式の事実が分かったのが遅すぎたことでした。

 商談に勝つには、「本当に会わなければならない人は誰なのか」を常に考え、営業戦略の立案と実践を繰り返すことが不可欠です。つまり公式な組織図はもとより、その公式の組織図からでは絶対に見えてこない、非公式な政治力学が視覚化された組織図を基に、営業戦略を立案することが重要なのです。

個人と自社との関係を分析し組織図に反映

 公式な組織は、企業のホームページやIR資料に掲載されているため、その構成は極めて把握しやすいものです。一方非公式な組織は、事実上の各個人間の影響力の配分を表します。一般的に外部に公開されている情報からでは、捉えにくいものです。

 ここでは、冒頭のA社における新製造システムの案件を例に、非公式な組織図を作成する枠組みを紹介します。まずは公式な組織図を作成し、新製造システムに関係のある人に焦点を当てます。そして、各個人に対して(1)購買プロセスにおける役割、(2)変化に対する適応性、(3)訪問回数、(4)自分の立場 ―の4種類の枠組みで分析して、戦略立案に必要な情報を整理していきます(図2)。

図2●プロジェクト関係者を個別に分析する
図2●プロジェクト関係者を個別に分析する

 まずは(1)購買プロセスにおける役割を明確にします。一人が複数の役割を兼ねる場合もあります。

利用者(User):システムを実際に利用する人
評価者(Evaluater):ソリューションプロバイダからの提案を評価する人
決定者(Dicision Maker):どの提案を採用するかを決定する人
承認者(Approver):決定者の決定をレビューし、一般的にはお金を出す承認を下す人

 典型的な意思決定プロセスは、まず評価者が利用者の意見を基に、ソリューションプロバイダの提案を比較検討し、決定者に報告するというものです。そのため、評価者に味方になってもらえば、その時点で競合他社よりも優位な状況を作る事ができます。実際の営業活動では、利用者から最終的な決定基準を聞いても意味がありませんし、承認者に提案しても多くは時間の無駄になります。

 (2)の変化に対する適応性は、「製品・サービスに対する購買スタンス」です。さまざまな分析の視点がありますが、ここでは、ジェフリー・ムーアの著書「トルネード経営」にある「変化への適応性」モデルを使用しています。

技術的熱狂者(Innovators):最新のアイデアが購入動機になる人
ビジョン提唱者(Visionaries):競合に先んじた行動が購入動機になる人
実用主義者(Pragmatists):他社事例や実績が購入動機になる人
保守主義者(Conservatives):新製品の購入には何かと消極的な人
懐疑主義者(Laggards):新製品購入に懐疑的な人

 実際の営業活動では、例えば実用主義者に対して「最先端のソリューションです」といっても興味を引きませんし、技術的熱狂者に対して「業界標準のソリューションです」といっても良好な反応は得られません。相手のタイプに合わせて、商談における会話や資料を変えていくことが重要です。

(3)の訪問回数は文字通り、顧客内のそれぞれの担当者にどれくらいの時間を費やしているかです。一度も会ったことがなければ「未接触」、頻繁に会っていれば「深い接触」とういうことになります。

(4)の自分の立場とは、自分(もしくは自社)にとってのその顧客の位置付けのことです。

メンター:圧倒的な味方で、あなたがその顧客に対して成功を収めることが自分の成功にも大切であると個人的に信じている人
サポーター:あなたに勝ってほしいと考え、情報提供などさまざまなサポートを提供してくれる人
ニュートラル:文字通り、中立的な人
ノンサポーター:他社を好んでいる人
エネミー:自社にとっての敵で、あなたの提案活動の邪魔を積極的に行ってくる人

 ここまでが公式な組織図の分析です。ここから本当の影響力を持っているのが誰なのかの特定を行うための分析を行っていきます。

地位と必ずしも比例しない購買決定への影響力

 地位と影響力、つまり公式な力と非公式な力の関係は、図3のように整理できます。「インナーサークル」とは、組織で起こることをコントロールする人です。戦略計画を策定して新しいプロジェクトを立ち上げることができ、過去に一貫して成功を収めてきた人、周囲に信頼できる人物を複数置いている人は、インナーサークルに属している可能性が高くなります。

図3●企業内の意思決定における地位と影響力の関係
図3●企業内の意思決定における地位と影響力の関係

 一方「政治的構成」とは、インナーサークルが指示したことを実行する役割です。外部のコンサルタントやソリューションプロバイダの営業担当者も含みます。戦略実行の責任を担う人で、特に直近のプロジェクトなどで成功を収め、組織風土に順応している人は、政治的構成に属している可能性が高くなります。

 例えば会社で突然の人事異動が起こったとき、それを考えたのはインナーサークルであり、実行したのは政治的構成のメンバーです。その他の社員は傍観しているか、不思議に思うだけです。ここで重要なのは、地位の高さと影響力が必ずしも比例しないことです。また影響力は、部門の境界も越えますし、ときには顧客組織の外へも作用します。

 影響力の情報を反映させると、図4のような組織図が完成します。ここまでの分析で、A社の案件について、次のようなことが分かります。

図4●組織図に意思決定への影響力や組織内政治を反映させる
図4●組織図に意思決定への影響力や組織内政治を反映させる

(1)公式には製造部長が意思決定者だが、実際に組織をコントロールしているのは事業部長と営業部長である。その補佐役として、情報システム部長、販売促進課長、開発課長がいる。

(2)製造部長は、販売促進課長と開発課長の意見を無視して意思決定できない。

 これらの分析から「販売促進課長へのアプローチをテコにして開発課長からの支援を獲得する」という営業戦略が、商談を有利に進めるため有効であるという判断ができるのです。

リレーション戦略とその実行

 以上のような分析で顧客組織における重要人物が明確になったら、次は、その人物とどのようにしたらリレーションを構築できるかを考えます。重要な人物と連携するためのリレーション戦略は基本的に次の三つからなります。

(1)メンターとサポーターへのテコ作用戦略
 現在の関係を生かして、顧客内の他の人との信頼関係を築く戦略です。

(2)ニュートラルへの動機付け戦略
 ニュートラルの顧客をサポーターへ移動させる戦略で、営業活動の中で最も難しい仕事です。具体的には、ビジネス上の動機と個人的動機を理解し、自分の提供するソリューションと関連付けて、自分の価値を伝えることが必要になります。

(3)ノンサポーターとエネミーへの中和戦略
 ノンサポーターとエネミーの影響を最小限にするための戦略です。何とかして彼らから支援を得ようとする戦略ではありません。彼らがノンサポーターやエネミーである理由は、あなたの製品や会社への偏見、あなたとの動機の不一致、あなたの会社の誰かとの個人的対立―の大きく三つです。それらの原因に対して誤解を解いたり、担当者を変えたりしながら、あなたの提案を邪魔するのを最小限に抑えます。顧客内メンターに対応を相談するのもよい手かもしれません。

 これらのリレーション戦略を実行する上で重要なのは、それぞれの顧客の「ビジネス上の動機」と「個人的動機」を理解することです。ビジネス上の動機とは、売上拡大やコスト削減のことです。その測定方法、ゴール目標などをヒアリングし、それに自社が提供できるソリューションの貢献を関連付けて伝えます。個人的動機には昇進や個人的成長などがあります。これも同様に自社のソリューションの貢献度合いを関連付けて伝えます。

 以上、顧客内の政治力学を読み解く枠組みを紹介してきました。政治力学を視覚化するためには、顧客組織内の相当の情報量が必要です。確かに、始めから完璧な質と量の情報を持ち合わせることは困難ですし、その情報も日々変化します。重要なのは、今回紹介した枠組みを念頭に、日々の営業活動を行うことです。

入江 倫成
ウィルソン・ラーニングワールドワイド HRD事業グループアカウントマネジャー
早稲田大学法学部を卒業後、ウィルソン・ラーニングワールドワイドに入社。IT・ハイテク企業に、営業力強化やプロジェクトマネジャー育成などに関する、アセスメントや能力開発プログラムの提案を行っている。E-mail:michinari_irie@wlw.co.jp