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今野浩の「ソフトウェア特許論」【前編】(上)何でも特許の出発点
出典:2004年7月号
87ページ
(記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)
米国の戦略は,一貫して特許による発明の保護強化,すなわちプロ・パテント政策である。これにならって我が国でも,特許制度を強化する方向でさまざまな政策が実施されている。(1)特許審査の迅速化,(2)特許侵害に対する罰則の強化,(3)従業員の発明に対して企業は相当の対価を払うべきという「職務発明規定」の改正,(4)大学の研究者に対する特許取得の奨励と民間への技術移転促進,(5)特許取得を研究者の業績評価の対象とする措置――などである。また政府は,今後予想される特許訴訟の急増をにらんで,技術紛争を適切に処置するため,2005年に「知財高等裁判所」を設立することを決定した。 このように我が国では,これまで権利保護が十分でなかったことの反省の上に,さまざまな保護強化政策が進められている。そしてこれらの政策は,産業界やジャーナリズムから好意的に迎えられているようである。私も基本的にこれらの知財立国政策を支持するものである。 しかし専門家の間には,このような政策が産業振興にどれだけ効果を持つかを疑問視する向きもある。また一般にはあまり知られていないことであるが,米国ではプロ・パテント政策の行きすぎによるトラブルが多発している。特にソフトウェア特許,ビジネス方法(モデル)特許などに象徴される特許保護範囲の際限のない拡大が,研究活動や技術革新に対してマイナスの効果を生み出しているという報告もある。 知財権利保護の問題は,研究者や技術者の活動に大きな影響を及ぼすものである。それにもかかわらず,技術者はこれまでこの種の問題に対して発言しようとはしなかった。技術以外の問題に割く時間がない上に,法律問題は法律の専門家たちに任せておけば適当に処置してもらえるだろうと,ナイーブに信じていたためであろう。 しかし時代は変わった。法律家たちは認めようとしないが,彼らの多くは高度な技術問題にかかわる紛争を適正に処置するための基本的素養を欠いている。これらの人々にすべてを任せるのは,技術者にとってあまりにもリスキーではなかろうか。知財制度は我が国の技術立国の鍵を握る重要問題である。技術者や技術革新にとって最も望ましい知財政策を実施する上で,今,技術者の発言が求められているのである。 そこで本稿では,十数年にわたってソフトウェア特許問題にかかわってきたエンジニアの立場から,ソフトウェア特許にかかわる問題について意見を述べることにしよう。 米国で始まった「何でも特許の時代」
ソフトウェア特許に道を開いたのは,ダイヤモンド対ディーア事件に対する1981年の米国最高裁判決である。このとき特許弁護士たちは,新たなビジネス・モデルの誕生を祝って,豪華ホテルで祝杯を挙げたということだが,彼らの期待通り,ソフトウェア特許制度は世の中に定着したように見える。実際,米国では2002年度に特許全体の16%に相当する2万5千件のソフトウェア特許が成立している(図[拡大表示])。また我が国でもここ数年,毎年約1万件のソフトウェア特許が成立している。 米国最高裁は1960年代以来,ゴッチョーク対ベンソン判決,パーカー対フルック判決など,“ソフトウェアには特許を与えない”という判決を出し続けてきた。このため米国政府は,ソフトウェアを著作権法で保護することに決めた。1980年に著作権法を改正し,ソフトウェアを保護対象に加えたのである。 そのたった1年後に,最高裁がソフトウェア特許を認めたことは,多くの人に驚愕(きょうがく)をもって迎えられた。しかし技術者たちのほとんどはこの問題に関心を示さなかった。強く反対したのは,天才プログラマ,Richard Stallman氏率いるLeague for Programming Freedomくらいのものである。 技術者は総じて社会的な問題には関心を示さない。ともかく彼らは忙しくて,そんなことに首を突っ込んでいる暇はない。また技術以外の問題にかかわれば,技術者集団から落ちこぼれの烙印(らくいん)を押される可能性が高いし,そもそも技術者には自分の意見を発表する場が用意されていないのである。 もちろん学会誌などで意見を発表することはできる。しかしそれはエンジニア集団の中の,しかもごくわずかの人にしか読まれない。一般の人々に訴えかけようと思っても,技術者の意見など聞いても分らないし聞きたくもないというのが,一般誌の文系編集者のメンタリティである。 今回このような場所を与えられ,意見を述べることができるのは,誠にありがたいことである。しかし恐らくこのような記事を読んで下さるのは,一握りの技術者だけだろうという諦めの中で,この文章を書いている。 自らの研究分野で特許爆弾が爆発私も忙しい生活を送っているエンジニアの一人である。本音としては,法律問題などにかかわりたくはなかった。しかしそうせざるを得なくなったのは,自分の至近距離で2発の特許爆弾が炸裂(さくれつ)したためである。一つ目は1988年に米国で成立したカーマーカー特許,二つ目はその10年後に成立したハブ・アンド・スポーク特許である。 これらの事件の詳細については,私の書籍1, 2, 3を参照して頂くこととして,前者は線形計画法の分野におけるアルゴリズム(数学)特許,後者は資産運用分野におけるビジネス方法特許である。どちらも私自身の研究に深いかかわりのある特許である。数学やビジネス方法が特許になると,数理工学やソフトウェア技術全体の発展が阻害されるという危機感が,この問題に深入りすることになった原因だった。 米国は,1980年代以降のプロ・パテント政策強化のなかで,特許保護範囲を劇的に拡大してきた。ソフトウェア特許,遺伝子特許,ビジネス方法特許,医療方法特許,そしてこれから先も社会システム特許,言語特許への拡大を狙っている。そしてこのような産業上有用であれば何にでも特許を認める米国の「何でも特許戦略」の出発点は,まさにこの「ソフトウェア特許」だったのである。
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