「イスラム国」を名乗る過激派組織の暴走が止まらない。インターネットに流布される画像や動画からは、その不満の要因が、不平等なのか、格差なのか、それとも敵とみなした相手からの攻撃なのか、混とんと表現されていてよく理解できない。

 ヨルダン人パイロットが焼殺されるシーンを含むビデオは、あまりにも残虐な行為が印象的ではあるが、なぜか、情感を込めるように技巧的である。メッセージはシンプルな方が伝わりやすいはずだが、その冗長なビデオから得られるものは、我々の活動や行為に対して刃向う者、それを支援する国家やその国民は危険に晒されるという脅しである。

 革命の必要や政府の自制など、理想を踏まえた政治的メッセージを伴うことで集団や行為の正当性を確保してきた従来のテロリズムは、普通の人々に対する殺害や身体的被害を与えるすべての行為と広く定義されるようになっている。もはやテロは、イズムとしての「○○主義」とは切り離されたものになりつつある。

 彼らが作成したビデオは、まさに「勝利の邪魔をするな」という主張のみが際立っている。それはまるで、暴力あるいは戦闘そのものが目的の一人称視点のシューティングゲーム(FPS:First Person Shooter)のプロモーション映像のようでもあり※1、焼殺の様子を遠巻きに眺める戦士たちは、オンラインゲームのアバターを思わせる。