スティーブ・ジョブズは、ただ単に会社を起業し、追放され、復帰してトップ企業に押し上げただけではない。自らが作り出した製品やサービスによって世界の人々の意識を変え、世の中全体に影響を与えたのである。彼自身の言葉を借りれば、それは「宇宙にへこみ」を作ったことにほかならない。ここでは、その「へこみ」具合を改めて振り返ってみることにする。

 アップルの工業デザイン部門のディレクターにして上級副社長を務めるジョナサン・アイブは、父親から「デザイナーとは、ものに形を与える仕事ではなく、世界を変える仕事である」と教えられて育ったという。実際、彼のデザインは、そうした力を発揮してきたといえる。同じように、スティーブ・ジョブズは、優れたコンピューターおよびその派生製品やサービスを作り出しただけでなく、それらを通じて世の中の仕組みを変えてしまった。

 例えば初期のアップル時代には、Apple II用にサードパーティーが世界初のパーソナルコンピューター向けの表計算ソフトとなった「Visi Calc」を発売。Apple IIとVisiCalcの組み合わせは、スモールビジネスの在り方を一変させていくことになる。

 また、実際の普及期はジョブズがアップルを去った後に訪れたが、印刷や出版のプロセスを一変させたDTP(デスクトップパブリッシング)の台頭も、ジョブズの功績と考えてよい。初代MacintoshとそのOSであるSystem 1にマルチフォントシステムを採用し、初の民生用レーザープリンターだった「LaserWriter」にページ記述言語のPostScriptを搭載させたことにより、高品位かつ表現力豊かな卓上印刷が可能になったのだ。

 しかし、それらは、ジョブズ自身に明確な目標があったわけでなく、サードパーティーのアプリケーションのおかげで結果的にそうなった部分も少なくない。これに対し、アップルに戻ってからのジョブズは、常にはっきりした意図と戦略を持って、産業構造自体を変えていった。

 その手法は、メディアを再生するハードウエアを開発・販売する一方で、そのハードウエアのためのコンテンツをオンラインで購入できる仕組みを作り、コンテンツメーカーと消費者をダイレクトに結びつけて、販売手数料を取るというものだ。

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 それまでゲーム業界では、ハードを安価に販売して普及させつつ、ソフトハウスには開発環境を高く売りつけ、出来上がったゲームコンテンツをパッケージ化する際に手数料を取り、高価な価格で消費者に販売するというビジネスモデルが成功を収めていた。このため、他社は音楽などのメディアコンテンツにもそれを当てはめて、コンテンツ自体から利益を上げることを最優先に考えていた。

 だが、ジョブズは逆転の発想により、開発環境は無料とし、販売手数料を実費程度にとどめることで、個人を含むサードパーティーの参入を促進。そして、コンテンツの価格を極力抑えて、ユーザーにとって買いやすい存在とし、その購入や再生に最も適したデバイスとして、利益率が十分確保されたハードウエア製品を販売するという新たなビジネスモデルを確立したのだった。

 この考え方は、まずiPodとiTunesMusic Store(現iTunes Store)のコンビで音楽コンテンツに適用され、映画やテレビ番組などの映像コンテンツへと拡大。iPhone 3GとApp Storeの登場でアプリ分野もカバーされ、iPadとiBookstoreでは電子書籍も含まれるようになった。こうしてジョブズは、主要メディアのデジタル配信を日常的な存在にしてしまったのである。

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