「電子書籍をめぐる言説はネガティブなものが多いが、電子書籍の登場は昨日今日の話ではなく、何年も前から予測できていたこと。今回は実験だから失敗するかも知れないが、電子書籍の新しい局面を作り上げるための第一歩としたい。著作権や肖像権のあり方も今後大きく変わらざるを得ないが、紙か電子かと幼稚なことを議論している場合ではない――」。

 講談社は、京極夏彦氏の新刊書籍『死ねばいいのに』を、四六判ハードカバーの刊行とほぼ同時にiPad向け電子書籍として発売する。著者の京極夏彦氏は出版発表の記者会見で冒頭のように語り、出版の電子化という潮流に先陣を切って飛び込んでいく決意を示した。

 日本国内での電子書籍をめぐっては、新しい分野ゆえに手法が確立されていない点も多い。例えば、現行の印税に代わる収益分配モデルの模索、共通の日本語組版フォーマットの策定、出版社や印刷会社、取次、書店などのいわゆる「中抜き」問題、版面権など著作権のあり方、といったものだ。京極氏は、まずは実験的に電子書籍を出版して、それらのあり方を探っていくべきとの認識を示した。

 出版発表の記者会見における京極氏のコメントと、京極氏と記者とのやりとりをまとめた。

■今回の経緯は?

京極氏 電子書籍の出版という話は、急に決まったわけではない。ただ、幸いなことにiPadが私の本と同時期に発売されることになり、良い機会と思い実験台を買って出た。今回の作品は電子書籍にすることを前提に作成したものではなく、雑誌に連載したものに書き下ろしを加えたもの。私は元々「InDesign」(アドビシステムズのDTPソフト)で書籍を作っており、データの移行などの手間が省け、短い時間で準備できた。

 紙の本がなくなるということは、現実的に考えられないと思う。「なくなる」とする根拠が知りたい。紙の本は、ハードウエアがなくてもいつでもどこでも読める、優れたメディアだ。電子書籍はプラットフォームがないと読めない。紙の本と電子書籍は食い合うものではなく、まったく違うもの。ユーザーも重複するところはあるかもしれないが、基本的には違う読者層だと考えている。補完することはあっても、食い合うことはないだろう。

■電子書籍時代の出版社の役割をどう考えるか。

京極氏 電子書籍が一般的になると出版社がいらない、と極端なことを言う方もいるが、私はそれもないと思う。データ配信と電子出版は違うものだと私は考えている。面白い小説は素で読んでもらえればよい、と言うのは傲慢だと思う。テキストデータは単なるデータに過ぎない。小説家がいかに小説を書いても、出版社がいないと書籍にならない。出版社の方に渡して本にしてもらい、さらには読者に読んでもらった時点ではじめて完成するもの。

 音楽に例えれば、テキストは楽譜に過ぎない。楽譜を一般の人に配っても、分かる人しか分からない。きちんとしたプレゼンテーションをしないと商品にならない。商品にするためのほとんどの努力は、作家ではなく出版社がしてくれるもの。分かりやすいレイアウトもフォントもコンテンツのうち。そうした考え方が欠如している。

 書籍は日本の文化が、木で版を彫っていた時代から何百年もかけて積み重ね、読みやすいツールとして大成してきたもの。装丁もフォントも、それが電子書籍になったらいらない、ということにはならない。そうした文化的な価値を捨ててしまっても自分の作品が感動を呼び起こせる、という過信のある人だけがそういうことを言う。日本語は縦書きも横書きもでき、文字種も選べ、ルビも付けられる。知覚言語としてこれほど優れたものがありながら、ルビも改行できないものを出版とは呼べない。書籍を作るのは出版社であり、出版するのは出版社であると思う。