6月5日、衆議院で「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案」が可決された。1999年に施行された「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(最終改正は、2011年6月)への改正案だ。

 今回の改正では2つのポイントがあった。ひとつはマンガやアニメなど、直接被害者となる児童が存在しない著作物を規制するか、ということ。もうひとつは児童ポルノの所持(単純所持)を違法とするか、ということだ。結果は、前者については規制しない、後者については違法とするということで決着した。今後、参議院での修正が入る可能性はあるが、大筋が変わることはないだろう。

 この連載では過去にも、児童ポルノ規制にこと寄せた言論統制の可能性を指摘してきた[児童ポルノ禁止法改正案は継続審査に/そして、原子力発電を考える(第25回)電力事業の歴史を追う――オイルショック、電源三法、次世代軽水炉(2013年7月1日)、児童ポルノ規制に名を借りた表現規制法案で新たな事実/そして、原子力発電を考える(第24回)電力事業の歴史を追う――東京電力による軽水炉導入(2013年6月17日)、またも出た、児童ポルノ規制に名を借りた思想・信条の自由への抑圧、法案が衆院提出(2013年6月3日)、東京都、いまだ思想統制への道をあきらめず、児童ポルノ規制条例の新案提出(2010年11月29日)、緊急!東京都が児童ポルノ規制の美名の下、思想統制への道を開こうとしている(2010年3月18日)を参照のこと]。

 これらの記事で、私は繰り返し「被害者の存在しないマンガやアニメなどの著作物に児童保護の美名のもと、規制をかけるのは表現の自由に反する」「単純所持の禁止は、そもそも児童ポルノか否かの区別ははっきりつけられるものではないので、国家権力による恣意的判断に任される危険性がある」と訴えてきた。私の主張はまたも出た、児童ポルノ規制に名を借りた思想・信条の自由への抑圧、法案が衆院提出にまとめてあるので、よろしければ読んでいただきたい。

 この問題は「児童ポルノなんて規制されるのが当たり前」という、“一般の良識”で判断してはいけない、大変重要な問題だ。近代国家の根幹にある「表現の自由」と「国家による不当な身体拘束からの自由」に関わる問題だからである。