今回は多能性獲得細胞と、人は人しか気にしないということ(その1)の続きを考えていく。とはいえ、前回書いた時点から状況は大きく変わってしまった。新たな多能性細胞の発見と思われたものが、論文からは偽造らしき画像が見つかり、実験内容にも疑念が次々に出され、共同研究者からは論文を撤回すべきという意見まで出るようになってしまった。

 多能性を示すSTAP細胞を巡る問題は、科学の営みという観点から見ると非常に単純だ。細胞に刺激を与えることで多能性細胞を作成できた、その細胞をSTAP細胞と命名した、とする論文が提出された。それが事実かどうか第三者が追試を実施する。論文に記載された手順を踏んで、記載された通りの結果が得られれば、論文内容は事実と認定され、さらにその先へと研究は進んでいく。

 一方、記載された通りの結果が得られなければ論文内容は誤りであると判断され、STAP細胞は“数ある仮説”の一つに戻る。「STAP細胞など、あり得ない大嘘だ」ということではないことに注意してほしい。「間違いなく嘘だ」と事実認定することは非常に難しい。STAP細胞は数ある仮説の一つに戻るのである。

 最初の論文執筆者があくまで事実だと主張すれば、いくらかは追試の試みも続くだろう。しかし研究者が追試に割けるリソース――時間や資金――には限界がある。結果が出ないということが続けば、追試を試みる者も減り、やがてはいなくなる。

 それでも事実であると証明したければ、誰もが納得できるような実験結果を得て、再度論文として公にする必要がある。論文が確かに思えるだけのデータを並べていれば、また追試が始まる。

 大変シンプルな手続きだ。これが健全な科学の営みである。