以前、「社会はタバコをどう扱うべきか」という回で、社会はタバコをどう扱うべきかという問題を取り上げ、最後を「実はアルコールについても似たようなことを考えているのだが、これはまたいずれ機会があったら書くことにしよう。」と締めた。今回は宿題の回答として、アルコール類の取り扱いを考えていこう。

 前回私は、タバコについて「毒物を摂取することが文化を形成している」という問題であり、解決策は、「いかにして毒性の影響を抜きつつ、文化を維持するか」だと書いた。タバコの場合は、紙巻タバコという毒物の習慣的大量摂取をもたらした技術が存在したから、提言は簡単だった。紙巻タバコの販売を段階的に縮小・禁止し、葉巻と刻みタバコへと移行するというのが回答である(今のところ政府が、私の提言を取り上げる気配はないが)。

 酒類の問題は、タバコよりもはるかに難しい。酒は文化としては遙かに深く私達の社会に根付いているからだ。タバコの普及にはナス科タバコ属で南米原産の植物が世界中に広がる必要があったが、アルコールは植物が普遍的に蓄積するデンプンを、酵母が自らの代謝で分解することで生成する。いわゆる発酵だ。

 植物も酵母も地球上には普遍的な生物であって、つまり酒は地球のどこでも――正確には酵母が生存できない寒冷地を除いて――自然発生的に生成しうる。しかも発酵過程で植物の蛋白質が分解してアミノ酸を生成したりもするし、なによりデンプンは分解するとまずは糖になる。

 甘い糖に旨みのアミノ酸、加えて酩酊作用のあるエチルアルコール――これで美味探究が始まらない方がおかしい。おそらく農業が始まった時点、場合によってはそれよりも以前から、人類は酒と共にあったと言って過言ではないだろう。