1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所事故が発生した。福島第一原子力発電所の事故の後、チェルノブイリの事故との比較が随分と行われた。が、そもそもチェルノブイリと福島の事故のどこが同じでどこが違うのかの分かりやすい解説は、あまり見当たらない。「チェルノブイリ並み」あるいは「チェルノブイリを超える被害」といった形容で、福島事故の被害をセンセーショナルに強調するための道具としてチェルノブイリの事故が使われてきたように思われる。

 今回は、そのチェルノブイリ原子力発電所の事故の概要を解説していく。

 チェルノブイリ事故については、国際原子力機関(IAEA)アーカイブを作成・公開している。また、日本語では日本原子力文化振興財団検証・25年経ったチェルノブイリ原子力発電所事故という特設ページを設けている。ATOMIAにも事故概要の記述があるし、反原発の立場からは原子力資料情報室特設ページを設けている。一般向け書籍では「原子炉の暴走 第二版」(石川迪夫著:日刊工業新聞社、2008年)が詳しい。

 現在もチェルノブイリ事故の原因については諸説あり、完全に解明されたわけではない。ここでは、これらの資料を使い、可能な限り簡明に説明することを試みる。

 まず押さえておかねばならないのは、チェルノブイリ原子力発電所が使っていた「黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉(RBMK)」というソ連独自の炉形式だ。第26回でも少し触れたが、RBMKはその名の通り、減速材に黒鉛を、核燃料の冷却と熱エネルギーの取り出しに軽水、すなわち普通の水を使用する。

RBMK炉の構造図(ATOMICAより)。原典は、Chernobyl Accident(2006年3月)。
RBMK炉の構造図(ATOMICAより)。原典は、Chernobyl Accident(2006年3月)。
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 RBMKは最初から発電用に開発した炉形式ではない。米国が原子爆弾の開発に成功したことを知ったソ連は、第二次世界大戦後、急速に核兵器開発を進めた。その中で、ウラン238から核兵器に使うプルトニウム239を製造するための原子炉として開発されたのがRBMKだったのである。RBMKは、燃料に濃縮ウランを、減速材に黒鉛を、冷却材に軽水を使用する。黒鉛はちょうどレンコンや練炭のように多数の穴が貫通した円柱形状をしている。固体の核燃料は圧力管という管の中に装荷し、黒鉛の穴の中に通して使用する。管の中は下から上へと軽水が循環していて、臨界によって発生した熱は、軽水にによって炉内から除去される。発電用炉では、圧力管からの配管を合流させて気液分離器に導き、水蒸気と水を分離、発生した水蒸気でタービンを回して発電する。米国が開発した軽水炉と比べると、原子炉を覆う格納容器がないことが目に付く。