軽水炉の使用済み核燃料の中ではウラン238からプルトニウム239を生成している。そして、プルトニウム239を核燃料として使用する高速増殖炉は、同時にウラン238からプルトニウム239を生産することができる。使用済み核燃料からプルトニウム239を取り出して再度核燃料に加工し、高速増殖炉を運転すれば、天然ウランの99.3%を占めるウラン238をプルトニウム239に変換しつつ核燃料として有効利用できる。しかも、使用済み燃料から取り出せるということは、新たに天然資源として核燃料を輸入しなくてよいということだ。

 日本は1966年(昭和41年)から、高速増殖炉と核燃料再処理の技術開発を開始した。資源小国の日本にとって、エネルギーを自給できるという魅力は非常に大きかったのだ。このあたり、米国やフランス、ソ連などの高速増殖炉開発が、ウラン資源の枯渇を前提として始まったのとは事情が異なる。1973年(昭和48年)12月に第一次オイルショックが起きると、日本にエネルギー的自立をもたらすものとして、高速増殖炉と核燃料再処理技術の開発は一層加速した。

 第25回で説明した田中角栄による電源三法には、日本の使用するエネルギー源を石油一辺倒から石油と原子力に分散する目的があった。それに対して核燃料サイクルは、原子力を日本国内だけで供給可能な自立したエネルギー源にするという意図があったわけである。もちろんその背景には、冷戦状況下で中国の核武装に刺激された結果として、「プルトニウムを扱うことで潜在的核兵器保有国と思われたい」という政治の意志があったと見て間違いない。

 しかし、前回見たように、高速増殖炉の開発は途中からうまくいかなくなった。それだけではなく、核燃料サイクルもまた、引っかかってしまったのである。