まずは若干の補足から。前回、関西電力の常務だった一本松珠璣(いっぽんまつ・たまき)が、当初は米国が開発中だった軽水炉の導入を考えていたと書いた。その後、1955年(昭和30年)に関西電力に対して、米ウェスティングハウス(WH)が1万kW(10MW)級加圧水型原子炉(PWR)の提案書を提出していたという記述を見付けた(「青の群像――原子力発電草創のころ」竹内旬著 日本電気協会新聞部 2001年刊行)。WHは世界初の原子力潜水艦「ノーチラス」(1954年就役)に搭載したPWR「S2W」を開発した会社だ。S2Wの出力はほぼ10MWなので、WHは関西電力に対してS2Wを陸上設置型に設計変更したものを提案したと思われる。同年1月の正力の舌禍事件に反応したのはマグノックス炉を売りたい英国だけではなかった。米WHも日本への売り込みを図っていたわけだ。WHだけではなく、アルゴンヌ国立研究所と共に低コストの発電向きの原子炉として沸騰水型軽水炉(BWR)を開発中だった米ゼネラル・エレクトリック(GE)も、同時期に日本での営業を開始している。ただし、米国勢の初動は英国よりやや遅く、同年4月ころからのようだ。スタートダッシュをかけた英国が、原子力委員長の職にあった正力松太郎の心を掴んだわけである。

 関西電力は1955年9月に、WH提案に対する評価を公表した(このことから提案は少なくとも数カ月前の春から初夏にかけて行われたと推察できる)。「低廉な石炭の得られる米国では経済性がないが、燃料コストの高い日本では条件を相当厳しくしても1キロワット時当たり5円80銭から6円、火力の平均である5円39銭に比べて、そう割高にならない」(「青の群像」p.31)との評価だった。導入するのは軽水炉で、まずは小さい実証炉を、という一本松の当初の考えは、このWH提案を受けてのものだと思っていいだろう。将来性はありそうだが、まだコストが高い。だから実証炉で経験を積もうというわけである。

 一方、コールダーホール原子力発電所の視察でのコスト見積もりはといえば、一本松は回想録「東海原子力発電所物語」(東洋経済新報社刊、1971年)に以下のように記述している。

 しかし、とにかくイギリスのいうことを聞けば、日本に建設するとして電気出力14万kW2台の計算で、使用済み燃料を計算に取り入れねば3円46銭kW/h、使用済燃料を計算に取り入れれば3円17銭/kWh、さらに将来の進歩を勘案して、使用済燃料を計算に入れねば3円8銭/kWh、使用済燃料を計算に入れれば2円79銭/kWh。日本の火力原価4円47銭/kWhに比し安い、とこの黄本(松浦注:視察にあたって英国側が提供した資料)には注釈を入れている。(「東海原子力発電所物語」p.41)

 両書で火力発電のコストが5円29銭/kWhと、4円47銭/kWhと食い違うがこの間に1年3カ月ほど時期がずれていることと、何らかの算定の前提が違うためであろう。北海道経済産業局調べの原油価格の推移を見ると、原油公示価格はこの時期1バレル1.97ドルから1.93ドルへと少し安くなっている。実は、この時期中東では大規模油田が次々に発見されつつあった。世界的に石油の供給は1960年代を通じて緩んでいき、1970年代に入ってオイルショックで一気に高騰する。原油価格の推移は、日本の原子力開発に大きな影響を与えていくことになる。

 もうひとつ、ここでは一本松が「使用済燃料を計算に取り入れる」と書いていることに注目しよう。この時、英国側は日本で使い終わった核燃料を買い戻すと提案していた。英国は、核兵器用のプルトニウムが欲しかった。使用済み核燃料にはプルトニウムが含まれている。だから、英国は代金を支払っても日本が使い終えた核燃料を取り戻そうとしていたのであった。