スカッシュという球技をご存知だろうか。四方を壁で囲まれた部屋で、壁に向かってボールを打ち続けるというスポーツだ。そもそもは19世紀、英国の監獄で囚人が暇つぶしに始めた遊びだという。
 世界初の原子炉「シカゴパイル1」は1942年に、そのスカッシュのコートに建設された。シカゴ大学のフットボール競技場の観客席の下にスカッシュのコートがあった。そこに350トンもの黒鉛のブロックが搬入された。黒鉛というのは鉛ではなくて炭素の塊だ。身近にある物質では鉛筆の黒色が黒鉛の色である。鉛筆の芯は黒鉛と粘土を混ぜて焼き固めたもので、3B、6Bと軟らかい鉛筆芯ほど黒鉛の含有量が多い。
 シカゴパイル1の建設資金は米政府が原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」から拠出した。建設を指揮したのはイタリア人物理学者エンリコ・フェルミ。彼は妻がユダヤ人だったために、米国に亡命してきていた。
 35トンの黒鉛ブロックを積み上げた中に35トンのウランを置き、核分裂反応を制御するカドミウムの棒を挿入する――シカゴパイル1はそんなシンプルな構造をしていた。核分裂反応を起こすことのみが目的だったので、熱を取り出す仕組みもないし発電機にもつながっていない。

「シカゴパイル1」の外観。(出典:Wikipedia)
「シカゴパイル1」の外観。(出典:Wikipedia)
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 1942年12月2日午後3時25分(現地時間)、シカゴパイル1は臨界に達した。連続した核分裂反応を起こすことに成功したのだ。すぐにワシントンD.C.には暗号電報が打電された。「イタリアの航海者が新大陸に上陸。住民は非常に友好的(The Italian navigator has landed in the new world. The natives were very friendly.)」イタリアの航海者とは、もちろんフェルミのことだった。
 ここで問題だ。なぜ、シカゴパイル1は黒鉛を必要としたのか。35トンものウランを使った理由は。そしてカドミウム棒はどんな役割をしていたのか。
 これらはすべて臨界に関係してくる。持続的に核分裂反応が継続することを臨界という。どんな環境を用意すれば臨界が起きるかという環境条件のことを臨界条件という。黒鉛も大量のウランも臨界条件をそろえるために必要だった。そしてカドミウム棒は臨界を人間が制御するためのものだったのである。