前々回前回に続いて、公共放送はどうあるべきかを考えていきます。

 歴史的に見て公共放送の存在意義はどこにあったかを考えてみよう。テレビ放送が始まったのは1953年(昭和28年)2月1日だ。この時代、パブリックな情報伝達手段はラジオ放送のみである。ラジオ放送が始まったのは1925年(大正14年)だから、この時点でラジオは28年の歴史を持っていたが、民放ラジオ放送が始まったのは1951年。それまではNHKのラジオ放送しか、パブリックな情報伝達ルートは存在しなかった。しかも、そのラジオですら受信機を持っていない家庭が少なくなかった。
 その情況の中で、NHKのテレビ放送は、動画像も伝送できる新時代のパブリックな情報伝達手法として、全国民が等しくアクセスできるものになることが期待された。だからこそ、放送法第7条は、NHKに「あまねく日本全国において受信できる」と義務を負わせているのだ。地上波のテレビ放送を日本全国にあまねく届かせるためには莫大な社会インフラが必要となる。それゆえ全国民からの受信料の徴収という手法には意味があった。

 全国民にあまねく新世代の情報伝達手段であるテレビ放送を届かせるために、全国民からあまねく受信料を徴収する。これは1953年時点では理に適ったことだった。