前回からの続きです。

 1984年1月23日に、種子島宇宙センターから「ゆり2号a」が打ち上げられた。衛星の設計寿命は5年。日本放送協会(NHK)にとっては待望の実用放送が可能な放送衛星だった。

 同年2月、NHKは同衛星を使った実験放送の概要を発表した。前回書いたが、衛星放送の目的が難視聴地域解消にあるならば放送内容は地上波のNHK第一と教育(現Eチャンネル)と同一であるべきだ。NHKが発表した概要は、ほとんど地上波と同一内容だったが、一部がほんの少し違っていた。例えばNHKの看板である「大河ドラマ」「朝の連続テレビ小説」は地上波より1週間早く放送することになっていた。また、週末夜間限定で、映画やドキュメンタリーを中心にした独自番組編成を行うことにもなっていた。少しずつでも視聴者を衛星放送に誘導したいという意志の見える編成だった。

 ところが同年3月に肝心のゆり2号aが故障を起こした。ゆり2号aには3本の放送用トランスポンダー(衛星に搭載する通信機器)が積んであった。2本が本放送用で1本が故障に備えた予備だった。その3本中2本が次々に故障してしまったのだ。

 1982年5月12日、ゆり2号aを使った実験放送が1チャンネルだけで始まった。放送内容はNHK第1とほぼ同一のものになった。「ほぼ」というのは一部NHK教育の番組も放送したからで、つまりは「地上波と同一内容」だった。