また少し間が空いてしまった。ともあれ話を続けることにする。震災からの復興に向けて各個人ができることをできるところから始めようという話題だ。

 前2回ではあまりはっきり書かなかったが、私が「国など置いて未来に進んでみよう」と書くに当たっては、「政治状況から見て、国の対応は遅れる」という予想があった。震災直後に余りネガティブなことを書いても、という意識から「国の行う復興は遅れるだろう」とは書かなかったのだが、震災後3カ月の現状は、遅々とした歩みを見せている。

 1つの比較材料を提出しよう。1923年9月1日、関東大震災が発生した。当時の日本政府は翌日から復興に向けて動きだし、9月27日には帝都復興院が設置された。一方、東日本大震災では、発生後2カ月以上を経た5月13日になって、復興庁の設立を定めた東日本震災復興基本法案が閣議決定された。6月18日現在も、法案の審議が続いており、採決は6月20日ということだ。

 もちろん関東大震災の時と現在とでは、政府組織の規模は桁違いだ。また、震災被害も東日本大震災の方が広範囲にわたっており、行わねばならないことは多い。福島第一原子力発電所の事故により、事故直後から政府は対応に忙殺されたという事情もある。しかし同時に、関東大震災の時に比べればコンピューターとネットにより、情報処理と事務手続きの速度は向上している。行動の速度を規定するのは事務手続きではなく意志決定の速度となっているわけだ。このため、私は政治が復興に向けて素早く動く意志を持っていれば動けたのではないか、にもかかわらず動けなかった/動かなかったのではないか、との思いを拭えない。

 衆議院提出の議案を見ると、国会は手を抜いているわけではなく体制整備をきちんと進めていることが分かる。それでも、「遅いのではないか」と感じる理由は、民主党対自由民主党の政争の側面ばかりが目立っているからだろう。緊急時に重要なのは、小異を一時棚上げにして一致協力することだが、今回、日本の政治は、小異の棚上げができなかった。

 私としては、3月20日の段階で、菅首相からの大連立の申し込みを、谷垣自民党総裁が拒否したのが分岐点という気がしている。谷垣総裁は、「惜しむことなく閣外から協力する」ではなく、「惜しむことなく協力する」と言うべきだったと思うのだ。