東日本大震災の発生時、東京の都心にいた私は14階から階段で歩いて降りて通りに出ました。そこにはいた人々はみな、携帯電話を操作していました。運のいい人はメールで家族に連絡が取れたりしていましたが、たいていの人は送信エラーとなり、たまに送れたとしても、それが相手に届くのに数時間かかったりしていたようです。

 通話はまったく機能しませんでした。ところがiPhoneを使っている私は、インターネットが使えることに気が付きました。Webも使えるしインターネットメールが使えたほか、TwitterやFacebookにもつながったので、刻々と情報を得ることができました。

 昔話になりますが、私は阪神淡路大震災の発生時、大阪に勤務していました。神戸市内では携帯電話を使っていると、その人に行列ができたものです。その後、人々は携帯電話を買いに店に殺到しました。当時は携帯電話を持っていませんでしたが、私も震災直後に携帯電話を買いました。「非常時には、いかに情報が大切か」ということを痛感させられた出来事でした。

 今回は、阪神淡路大震災のときと比べれば、多くの人が携帯電話やスマートフォンを持っており、情報の活用が可能になりました。特にTwitterでは活発な情報提供がなされました。東京では夜になると帰宅困難者があふれるようになりましたが、受け入れ先の大学などの施設の情報などが頻繁に流され、それに救われたというつぶやきも多数見られました。中には「インターネットがあってよかった」というつぶやきも多く見られました。

 一方で、悲しいことに、デマやチェーンメールも出回りました。特に原子力発電所や石油備蓄設備に関するひどいものが見受けられました。Twitterでは、「拡散希望」というつぶやきが見受けられました。一見すると他人にも知らせた方がいいと思うような内容でも、正しい情報なのかが分からないものがほとんどでした。昔から不幸の手紙、携帯ではチェーンメールなどがありますが、Twitterでもつぶやきがチェーンメール化してしまったようです。

 また、日常生活を普通に過ごしている人の軽いつぶやきに批判が集中することも見受けられました。お気楽なコメントには「こんなときに何を言っているんだ」という風潮もあり、被災者や関係者、支援者、日常の生活を送っている人のつぶやきが交錯し、情報があふれかえっていました。そして、その膨大な情報を自分の中で処理しきれずに、悲しみにくれる人までもが出てきてしまいました。

 私たちはまだこの新しいメディアを使いこなしていません。例えばTwitterでは、数百人、数千人がいっせいにしゃべっているのが聞こえてくるのです。そのそれぞれに一喜一憂したり、デマを信じてしまったり、誹謗中傷を悲しんだりしていては、身が持ちません。

 情報をそのまま受け止めずに受け流し、斜め読みし、正しい判断をしていく能力が求められるのだと思います。この混乱から多くを学び取り、これからの秩序の回復へ役立てたいと考えています。