前回に引き続き、東日本大震災を直接被災しなかった方々に向けて、以下の文章を書いていく。

 東日本大震災からほぼ1カ月がたった。被災地の復興に向けての足取りは、1995年の阪神・淡路大震災の時に比べて明らかに遅い。あまりに巨大な広域災害だったので、なかなか復興への動きが目に見えて加速しないのだ。

 福島第一原子力発電所の状況はまだ予断を許さない。原子炉内で発生した水蒸気が高圧になって爆発する水蒸気爆発はどうにか避けつつあるようだ。水蒸気爆発は核燃料が飛散することになるので、考え得る限りの最悪事態である。しかし一方で、核反応の過程で精製するヨウ素131やセシウム137といった放射性物質を大量に含む汚染水が太平洋に漏れ出してしまった。

 前回書いた通り、今回の震災は日本社会にとって、「311以前」と「311以後」を分ける一大転回点だ。しかし、311以降の状況への政府の対応は残念ながら遅れる可能性が高い。あまりにも被災地が広大であり、被害が甚大であることに加えて、制度的な理由も重なるためである。大震災がちょうど新年度の予算編成が終わったタイミングで起きたためだ。

 もちろん政府としても臨時予算をはじめとしたありとあらゆる手続きと手段を使って、大震災対策に向けた早期の復興に向けた資金投入を図るだろう。しかし、年度ごとの予算編成という国の制度がある以上、限界がある。国としての本格的な復興シフトは来年度以降にならざるを得ない。そして、国が被災地復興に力を注げば注ぐほどに、「311以降、どのような国を作っていくか」というグランドデザインの議論は後回しになるだろう。

 しかし、被災しなかった私たちが、これから復興を主導しなければならない国と同じ歩調で進む必要はない。みんな今回の震災で色々と考えること、感じることはは多かったはずだ。それら考えたこと、感じたことを1人ひとりが実践していけば、それだけで日本は変わっていくことができる。「国を主導ではなく、1人ひとりの行動で、日本社会は変わることができる」ということを指摘したい。

 一般に組織は小さいほど変わりやすく、大きくなるほど変わりにくい。一番動きやすいのは個人だ。それぞれの人が「やろう」と思って行動すればいい。組織は小さいほど変化への一歩を踏み出しやすく、大きくなるほど意志決定の階層が増えて大きな変革に踏み出しにくくなる。大きな組織の頂点に国家がある。

 今は、動きやすいところからどんどん動いて、変わっていくべき時だと、私は考える。