前回、公立図書館が様々な矛盾を抱えていることを説明した。その根本にあるのは、地方自治体の、図書館を知の集積地としてではなく「タダで本を読む機会を地域住民に提供する住民サービス」と考える姿勢だった。
 そこに電子書籍がやってくると、どうなるのか。

 まず、前回問題にしたベストセラーのタダ読みという機能だ。
 電子書籍は、紙の本と異なり、売り切れも絶版もない。そして保存スペースも取らない。こうなるとベストセラーは「基本的に自分で買え」ということになる。
 ベストセラーを図書館で借りて読みたいという住民のニーズには「タダで読みたい」という多分に虫の良い要求と共に、「買った本は読後にかさばる」という住宅事情に根ざす切実な問題点が存在した。電子書籍では後者が消えるので、残るのは「タダ読みしたい」という、手前勝手な要求だけとなる。
 こうなると公立図書館の貸し出しサービスは、単なる民業圧迫になり果てる。電子書籍化が進む場合、図書館での閲覧、さらには図書館からの貸し出しがどんな形態になるのかは、まだまだ紆余曲折があるだろう。しかし、少なくともベストセラーを何十冊も購入して貸し出しに回す行為は根拠を失うこととなる。「電子書籍を買うのにも困難を覚える低所得層は、ベストセラーを読むなということか」という要求には「読むなとは言わないが、貸し出しの順番を待ちなさい」と答えることになるだろう。
 図書館でも電子書籍を扱うようになると、貸し出しは「出版社から何冊分の貸し出しの権利を買うか」という問題に帰着することになるのだろう。これは、どのようなDRMを採用するかという問題に関係するので、今後かなりの紆余曲折がありそうだ。

 次に、高齢者の居場所という機能だ。公立図書館に行くと、高齢者が新聞を隅から隅まで読んでいるのを見かける。多くは男性だ。現役で働いていた時には、会社で複数の新聞を比較しながら読んでいたのだろう。定年となり、家庭では複数の新聞を購読する余裕がない。そこで、図書館にやってきては新聞を読んで老後を過ごすことになる。  この機能は、当分廃れることはないだろう。新聞メディアと共に社会生活を送ってきた団塊世代の大量退職は続いている。新聞を求めて図書館にやって来る高齢者は当分の間途切れることはない。それは、もっと下の世代、新聞を読まなくなった世代が定年を迎えるまで続く。
 問題は、それは単なる高齢者向けサロンであって、図書館本来の機能では全くないということだ。日当たりの良い公民館にでも、新聞をまとめて置いておけば済むことである。
 そうこうしているうちに新聞そのものが電子化され、収益を上げられなくなった紙の新聞が消えるという可能性は十分にある。

 学生、特に受験生の勉強の場という機能はどうか。受験シーズンともなると、静かで集中できる場を求めて、受験生が図書館の閲覧室を多数訪れる。彼らは全く図書館本来の機能と無関係に、単に勉強がはかどる場所を求めているだけだ。参考書は自分で持ち込むから、図書館の蔵書を使うこともない。このニーズは、少子高齢化が進んだとしても日本の住環境が劇的に改善しない限り、必ず残るだろう。問題は、これもまた図書館本来の機能と無関係ということである。

 このように考えてくると、公共図書館の実態は図書館本来の機能とはあまり関係ないところに力点が置かれてしまっていることが分かる。図書館を住民サービスとしてとらえるならば、電子書籍の時代になったらばむやみな本の収蔵などせずに、静かな勉強用スペースと高齢者用の新聞閲覧サロンを備えた公共スペースを図書館の代わりに建設した方が、コストパフォーマンスが良いということになりかねない。