私がこれを書いていた時に、Appleがプレス向けのイベントを開催して、iPhone用の新しいマルチタスクOSシステムを発表した(それはiPadでも使えると言うことだ)。これは我々が通常マルチタスクと考えるものとは言えないが、その方がよいのかもしれない。アプリケーションの設計者に本物のマルチタスクを使わせるのは、少なくともiPhoneの場合、危険だ。結局、電話の目的は電話をすることだ。それをポケットコンピューターにするのは構わないが、現在のハードウエアはそこまで性能が高くない。

 例えば、私は腹立たしいAT&Tの通信領域に住んでいる。家の後ろ側の部屋には電波が全く届かないし、居間では断続的にしかつながらない。今、私の明白な対応策は、すべての部屋をカバーするWi-Fiネットワークを設置することだが、これは思ったより難しい。混沌の館は厚い壁のある大きな古い家だからだ。それはさておき、問題は、私がここでWi-FiとAT&Tの電波領域内にいるのに、家のほとんどの場所で通信が不安定で接続が遅いことだ。iPhoneの快適な点の一つは、指先一つで即座に参考図書館を利用できることだ。今朝、新聞を読んでいてあるニュースが目にとまった。(映画「オズの魔法使い」で)Munchkin人の1人で、西の邪悪な魔女はただ死んだのではなく「誠に、喜ばしいことに、死んだ」と宣言したMunchkinの検死官を演じた俳優のMeinhardt Raabeが亡くなったという。私はその映画が封切られた時に見た。何歳の時だったか覚えていない。何か奇妙な理由があって、新聞記事はその映画の日付を示していなかった。

 iPhoneなら完璧にこなせる仕事だ。iPhoneを起動して、Googleに行って、「Wizard of Oz」を検索すると、国際映画データベース(IMDB)のURLが分かったのでそこへ行く。問題は、接続状態が良くないために時間がかかったことだが、最終的につながったので、IMDBに行こうとクリックした。iPhoneはごそごそやっていた。さらにもう少しごそごそやって、ずっと続いていたので、私はついにもう興味を失ってしまった。すると全く違うWebページの広告ページがポップアップした。一番上の小さな文字がIMDBへ移動する誘導だった。たくさんの写真とリンクのある美しい絵入りの広告だったので、ロードするのに長い時間がかかったのだ。このころには、私はもうどうでもよくなっていた。そうか、この映画が1939年に封切られたなら、私はMemphisのMain通りとBeale通りの角にあったMalco Theaterで見たはずだ。何と前の千世紀のことだが、見つけるのにこんなに時間がかかると分かっていたら、接続状態が良くなるまで探そうとしなかっただろう。

 iPhoneのアプリケーション開発者にマルチタスクを解放して広告を使えるようにしても、こんな経験が増えるだけなら、iPhoneの使い勝手は良くならない。

 一方、マルチタスクによってiPadでSkypeその他のVoIPアプリケーションが使えるようになるのは良いことだ。まとめると、新しいiPhone用OSを使うのは良いことだ。しかし、Appleが市場の需要に応えるためにこれを開発したのは明らかであって、AppleがiPhoneとiPadのマルチタスクというアイデアを好んでいるからではない。ハードウエアは少し遅く、メモリーは制限されている。メモリーが制限されている初期のiPadを買った人々がマルチタスク機能を停止できるようになるかもしれない。

 長期的に見れば、それはそれほど重要なことではない。この話の重要な部分は、我々がNivenと私が1972年に出した「神の目の小さな塵」という小説に登場したポケットコンピューターに現実に、毎年毎年近づいているということだ。ポケットコンピューターのハードウエアは年々良くなっている。そして、AT&Tが通話状態改善しようとしているという噂がある。私は待ち遠しくてならない。

メディアプロセッサーかTabletPCか

 ほとんどの読者は覚えていないだろうが、マイクロコンピューターが初めて登場した時、ちょっと遅くて動きがぎくしゃくする汎用小型コンピューターと、快適に動くワードプロセッサー専用機が競合していた。IBMは磁気カードで制御するSelectricタイプライターを売っていて、David Gerroldなど多くの作家が使っていた。Barry Longyearと私は、我々のマシンに関する公開討論を行ったことがあった。私はEzekialというS-100 CP/MシステムでElectric Pencilを使っていたが、彼はWangのワードプロセッサーを選んだ。私はワープロ専用機は1つの目的だけに使うものとしては良いと認めたが、汎用小型コンピューターの方が有益な投資だと考えていた。小型コンピューターの方がポテンシャルが高かったからだ。

 iPadの出現は私にこのことを思い出させる。しかし、似ているというのは、あまり良いことではない。違っていれば、教訓を生かしていることになる。

 初期の時代には、WangやIBMのような企業は自社のワードプロセッサーに関して自社技術だけを利用させていて、サードパーティのソフトウエアはほとんどなかった。汎用的なシステムは独立系のアプリケーション開発を有効に活用したため、すぐにIBMとWangのどちらも開発できなかったS-100マシン用の優れた、より高性能なテキストエディターが数多く登場した。「Write」「WordStar」「Word Perfect」などだ。そしてワープロ専用システムはすぐに市場から一掃されてしまった。Appleはそれから学習して、サードパーティ開発者を熱心に奨励している。Appleは今でもシステムに規制をかけていて、iPhoneとiPadでやってもよいと許可するものを制限しているが、コンピューター革命の初期の時代の一つの教訓は(少なくとも部分的には)身にしみているようだ。