メキシコに端を発した新型インフルエンザは、世界で猛威を振るっていると毎日のように報道されています。まだ国内に感染者が見つかっていなかったとき、日本は「水際作戦」に注力していました。

 そもそも日本は島国で、基本的にはヒトの出入りは比較的管理しやすいとはいえ、成田空港ばかりでなく、国際空港は他にもあり、韓国などとは船での往来もあります。しかも、発熱などの発症者のみに水際作戦は注力されていたために、未発症者は防ぎきれていませんでした。

 感染しても発症しない罹患者もいますし、成田だけでも防ぎきることは「できないはず」でした。にもかかわらず、防護服を着た担当者が検疫するという、ものものしい警戒態勢が取られ、いかにも防いでいるような映像が流れていました。しかし、これは「努力している」というレベルに過ぎなかったのではないでしょうか。

 情報セキュリティの世界でも同じように「努力している」というスタイル、あるいはポーズは国内では重視されます。しかしその努力のほとんどは「防ぐ」に向けられます。言い換えれば、「防ぎきれない、という前提は考えない」ということなのです。

 例えば、情報セキュリティでいうなら「コンピュータウイルスに感染したときのための拡大防止ソリューション」というのは売れにくいのです。そんなことにお金を使うなら、もっと防ぐために使えとなるのです。実際には、防ぐことには限界があり、ある程度以上のレベルから引き上げようとすると、とんでもないコストがかかるのです。それであれば、ある程度の「防ぐ」レベルに達したなら、それ以降のコストは「感染した後」のソリューションに向けられるべきなのです。