リヒャルト・シュトラウスの初期の作品に、交響的幻想曲「イタリアから」という曲があるのをご存知だろうか。1886年、当時21歳の若者シュトラウスは、イタリア各地を旅行したときの鮮烈な印象を音楽化しようと考え、この交響的幻想曲「イタリアから」を作曲した。第1楽章は「カンパーニャにて」、第2楽章は「ローマの廃墟にて」、第3楽章「ソレントの海岸にて」、そして第4楽章は「ナポリ人の生活」。イタリア各地の美しい光景が、若者の創作意欲をかきたてた。

 この第4楽章には、誰もがよく知るメロディが出てくる。ナポリ民謡の「フニクリ・フニクラ」だ。大変親しみやすいメロディで、日本では「鬼のパンツ」の替え歌でもよく知られている。「鬼のパンツは、いいパンツ、つよいぞ、つよいぞ」で始まり、みんなで鬼のパンツをはこうと結ばれる、かなり意味不明な歌詞で歌われる。このメロディを、大編成のオーケストラが大マジメに演奏して、壮大なクライマックスを作るのだから、「イタリアから」は相当に楽しい曲なのだ。

 もちろんシュトラウスは、「フニクリ・フニクラ」に未来の極東で「鬼のパンツ」などという歌詞が付けられることなど知るはずもなく、これを陽気なナポリ民謡として自作に引用した。実をいえば、これは古来からの民謡などではなく、はっきりと作曲家がいたため一悶着あったようなのだが、それはまあよい。注目すべきは、この作品の「落ち着きのなさ」だと思う。

 10代までのシュトラウスは伝統にのっとった保守的な作風を持っていた。当時の最高傑作を一つ挙げるとするなら、文句なしにホルン協奏曲第1番だろう。シュトラウスはこれを18歳で書いた。そしてこの作品は古今のホルン協奏曲の中でも最高傑作といいたくなるほど、喜びにあふれた輝かしい作品だ。伝統的な3楽章構成の協奏曲で、標題性のない絶対音楽である。モーツァルトかメンデルスゾーンあたりが書いていてもおかしくないほど、誕生した瞬間から「クラシック」の歴史に名を連ねたであろう、正真正銘の天才の作品だ。

 しかし、その後、シュトラウスは交響詩の分野で次々と傑作を放つ。交響詩「ドン・ファン」や「死と変容」、「ツァラトゥストラはかく語りき」(映画『2001年宇宙の旅』で使われた)、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「英雄の生涯」……。いずれも明確な標題を持ち、リストが創始した交響詩というジャンルを拡大し、音楽史に新たなページを加えることになった。シュトラウスがオペラ作曲家に変身するのはもっと先の話だ。

 出世作の「ドン・ファン」は1888年に完成されているので、この時点でもまだ22歳。ホルン協奏曲第1番にしても「ドン・ファン」にしても、完成度が高く、若書きという印象がない。ただ、この間に書かれた交響的幻想曲「イタリアから」には、少々違った雰囲気がある。実質的に交響詩であるにもかかわらず、まるで交響曲のように4楽章構成になっているのもどちら付かずな感じがするし、そもそも「交響的幻想曲」などという、以後使われることのない変わったタイトルを掲げているのも過渡期の作品を思わせる。各楽章には、好きなだけ書きたいことを書いたという若者ならではの勢いがあり、裏を返せば後の交響詩ほどは聴衆を飽きさせないように気をつかっていない。だから、この曲は現代でもあまり演奏されない。大胆に「フニクリ・フニクラ」を使った割には、報われていない気がする。

 とはいえ、この曲に特別な愛着を感じる者もいる。特に指揮者リッカルド・ムーティの功績は大きい。いまや大指揮者の域に達しつつあるムーティだが、彼は60年代のまだデビュー間もない頃からこの曲を指揮していたはずだ。以後、この曲を得意としており、1989年にはベルリン・フィルとレコーディングもしている。いま聴いてもこのムーティ指揮ベルリン・フィルによる「イタリアから」のCDは見事な演奏で、心から楽しめる。

 ムーティはなぜシュトラウスの「イタリアから」を得意としているのだろうか。そりゃ、もちろん、ムーティはナポリ人なのだから、「フニクリ・フニクラ」を使ったこの作品を演奏したがるのは当然ではないか。自分のトレードマークにできるのだから。ワタシは以前から勝手にそう思い込んでいた。

 だが、そうではないのだ。ブリューノ・モンサンジョン著の『リヒテル』(筑摩書房)に、リヒテルの手記が載っているのだが、これには驚いた。なんと、あのロシアの大ピアニスト、リヒテルが若き日のムーティに「イタリアから」を指揮するように強く勧めたというのだ。リヒテルはずっと昔から(青年期の頃から)当時ほとんど誰も指揮しなかった「イタリアから」に愛着を持っていた。そこで、デビューしたてのムーティと初めて共演した際に、この曲を指揮するように進言した。巨匠リヒテルからそう言われて、若い指揮者がこれを無視するはずがない。ムーティはリハーサル後に、わざわざリヒテルのためだけにこの曲を振ってくれたことさえあったという。

 リヒテルは「イタリアから」について、特に第1楽章「カンパーニャにて」が、その土地をほうふつとさせるもっとも美しい楽章だと評している。リヒテルの特別なお気に入り。そう思ってこの曲を聴いてみれば、また新たな発見があるかもしれない。