信州からリンゴが届いたというので送り主を見てみると、小学生の頃からお世話になっていた学習塾の先生からだった。

 早速、リンゴの箱を開けてみると、中には真っ赤に色づいた立派な「ふじ」と、システム手帳の1ページに書かれた小さなメモが入っていた。そのメモには、「本格的に果樹栽培を始めて数年がたちました。やっと人に差し上げてもよいかなと思うものができるようになりました。信州の味を味わっていただければ幸いです。」とあった。

 先生は、都内の国立大学を出て学習塾で数学を教えていらっしゃった。とても教え方が丁寧で、一つひとつ論理的で明快な説明がとてもわかりやすかった。僕は数学の専門家にはならなかったけれど、このときに論理の積み重なりの面白さに気づきを与えていただいたように思う。

 先生がふるさとの信州に戻られたのは、もう25年以上も前のことだったと記憶している。けれども、子供好きの先生は、その後も職業を変えることなく、今も信州で学習塾を経営されている。だからリンゴの栽培は素人のはずだ。

 いただいたリンゴに包丁を入れてみると、蜜がいっぱいに詰った白い果肉がきらきらと輝いている。そして甘く酸味の効いたリンゴの香りが部屋いっぱいに広がった。口に入れると、シャキシャキと歯ごたえがよく、甘酸っぱい瑞々しさが口の中に広がって、その香りが鼻腔をくすぐる。その後を心地よい甘さが追いかけてきた。

 大都会の人工環境の中で時間に追われ、お金のことばかりを考えて生活しなければならない人は、誰だって、美しい自然の中でのんびりと、けれどもリズムのある規則正しい生活をしたいと思う。そして毎日、身体を動かして創作を楽しみながら、いつまでも健康に過ごしたいと願う。長年勤めてきた仕事を終えて、第二の人生を歩み出そうとされている皆さんの中にも、こうした思いを抱いていらっしゃる方々が多いことだろう。

 農業をやってみたい、そば打ちをやりたい、古民家でパンの工房やカフェなんていうのもいい、陶芸にだって兆戦したい。僕だって、テレビ朝日系列で放映されている「人生の楽園」に出てくる人々のようなカッコいい田舎暮らしがしてみたい。