先月、高校の恩師に15年ぶりに会って話をしてきました。その恩師は、このブログでも以前に高校生の頃のエピソードとして紹介したことがある(参考「29:話題のキーワード「セレンディピティ」なエピソード)、漢文の先生です。

15年ぶりに会えたのは、とあるきっかけがあったからです。
それは、ある日、僕が本屋に入ると、僕の本の横に、その先生の本が並んでいたのです。

ちょうど僕の出した本の横に並んでいるのが、先生の本。
ちょうど僕の出した本の横に並んでいるのが、先生の本。

見つけたときは、「おおっ!」とびっくり。しかも同じ出版社。そこでさっそく編集担当の方に連絡をして、先生の連絡先を聞いてアポをとりました。

僕が勝手に恩師と呼んでいただけですから(いろんな恩師がありますが、良いきっかけをいただいたということで)、きっと覚えていないだろうなぁと思ったら案の定、覚えていませんでした。なんせ、僕の通っていた慶応義塾高校は1クラス40人以上で1学年18クラスもありましたからね。しかもその中で、担任とかではなく選択性の漢文の授業を1年間受けただけでしたから。

とはいえ、久しぶりにお会いして、いろいろな話をできて感激でした。当時も“変わりもの”で有名な先生でしたが、改めていまお会いして話しても、やっぱり変わりものだなぁと再確認しました。

すでに先生は退職されており、今は執筆活動を中心にまだまだご健在で、嬉しく思いました。実際会ったときの会話の内容は他愛もない話が多く、僕らのIT業界の話なんかは、ちんぷんかんぷんではあったとは思います。

先生の本は、漢文の先生だけあって、孔子の書いた論語と孟子の教えの中から、現代に生きる上での知恵となるような文章を抜き出し、先生の解釈も加えながら、現代風に解説しているものです。今回はその先生の出された本2冊の中から、はっ、とさせられたことを紹介します。