「スティーブ・ジョブズが心臓発作を起こし、救急病院に担ぎ込まれた」。
先週10月3日金曜日、こんな噂がつぶやきブログのTwitterを通じて広まり、アップルの株価が急落した。アップルがその後、噂を否定して騒ぎは収まったが、噂のせいでアップルの株価は年初来、最安値をマークした。

 噂の元は、CNNの市民ジャーナリズム・サイト「iReport」に投稿された「Johntw」なる人物による記事。その内容は、「信頼あるインサイダー筋によると、ジョブズは数時間前に激しい胸の痛みと息切れを訴えた後、救急車でERに運ばれた。(中略)これに関連するニュースはまだどこでも見ていないが、もし何か聞いたらここでシェアして欲しい」といったもの。アップルの株価はこの噂で、直前の105.50ドル近くから一時的に8ドルほど落ち込んだ。

 こんなニュースを耳にして、「ははぁ」と考えることが2点ある。

 ひとつは、株式市場がどんな材料も株価を動かす材料にしてしまうということ。105.48ドルをマークしていた午前9時40分、97.45ドルまでガクンと下がった9時52分、103.60ドルまで持ち直した9時56分。アップルが否定声明を出したのが9時55分ころだったらしいが、何と15分ほどの間に、株価激震のドラマが始まって終わるということである。

 秒単位で売買をしているトレーダーにとっては、こんな風評が真実であるかどうかは、ほとんどどうでもいいことなのだろう。このニュースで急いで売る人、下がったところで急いで買う人、否定声明が出て株価が戻り、大きく儲けた人などが入り乱れていたことだろう。ことに、金融危機で過敏になっている市場のこと、その反応も過剰だったはずだ。

 もうひとつは、CNNの落ち度である。CNNは、いわゆる市民ジャーナリズムを自身のメディアに取り込もうとしてこのiReport サイトを設けたのだが、本当のジャーナリズムと市民ジャーナリズムの境界線を読者にもわかりやすく引いておくことを怠っていた。願わくは、市民ジャーナリズムに理解のあるメジャー・メディアとして評価されつつ、投稿者や読者が集まることで広告収入などもあろうと目論んでいたのが、今回は裏目に出た。

 市民ジャーナリストには海千山千の人々がいる。CNNは、投稿内容が場合によっては間違っていて、一部は悪意に満ちたものもあり得るというわかりやすい説明書きを前面に出し損ねていたのだ。しかも、このJohntw氏の投稿をかなり長い時間にわたって掲載したままにしていた。つまりこの事件で、メンテナンスの度合いの低さも、はっきりわかってしまったことになる。本名を登録させることなく、投稿を許したことも落第点だったかもしれない。すでにSEC(米証券取引委員会)が、事件の調査に入っている。

 もうひとつ加えるならば、「やっぱり市民ジャーナリズムは、信用ならない。根こそぎ廃絶すべき」といったような議論が出てくることが困る。今やインターネットとは現実世界のミラーのようなものであって、いい人もいれば悪い人もいて、うっかりした人もいれば悪巧みを実行に移す人もいる。情報を鵜呑みにせず、自己判断力、自己防衛力を鍛えなくてはやっていけないのだ。たった今も、そのiReportサイトには「共和党副大統領候補のサラ・ペイリンが撤退」という嘘のニュースが載っていた。

 それにしても、スティーブ・ジョブズは最近、踏んだり蹴ったりの思いをしている。6月のWWDC(アップルの開発者会議)でガリガリの姿をステージ上で見せて以降、「がん再発か」という噂が広まっただけではない。8月末には、金融ニュースのブルームバーグが、ジョブズの訃報を間違って流してしまったのだ。ジョブズの業績は、「パソコンを電話のように使いやすくし、アニメーション映画の制作現場を変え、デジタル・ミュージックを楽しむように消費者を導き、そして携帯電話をまったく異なったものに作り変えた」とか。

 アメリカのメディアは、有名人の訃報をいつも準備して、ことあるごとにアップデートしているのだが、健康な人でも自分の訃報が出てしまうのは嫌なものだろう。有名人とはつらそうだ。

 ところで、ジョブズ心臓発作の噂があった翌週明け、月曜日のアップルの株価は87.67ドル、つまり噂が押し下げたさらに10ドルほども安値に下がっている。金融不安による全般的な株安の影響だ。いやはや、噂よりも今、現実に起こっていることの方がずっと怖い。