前回とりあげたIMSLP、すなわちInternational Music Score Library Projectを、引き続き取り上げたい。IMSLPは現在パブリック・ドメイン(著作権切れ)の作品を中心に1万曲以上の楽曲、1万7千点以上の楽譜をサイト上に掲載している(ただし、現在一部の楽譜は著作権の確認作業のために一時的にダウンロードがブロックされている)。

 すでにお伝えしたように、IMSLPが一時閉鎖されることになったのは、ウィーンの名門楽譜出版社であるUniversal Editionの抗議がきっかけとなった。いささか高圧的とも見える弁護士事務所からの手紙で始まったこともあって、当初は「ああ、楽譜出版社の圧力でフリーの楽譜サイトが潰されたのか」と単純に考えてしまったのだが、同サイトの運営フォーラムに寄せられた Universal Edition 側のコメントを読んでみると、この騒動の印象が違って見える。

 一般に、クラシック音楽の「売れ筋商品」というのは著作権切れの作品が多い。ベートーヴェンもモーツァルトもショパンもみな人類の共有財産であり、どの国の法律でもパブリック・ドメインである。だがこういう疑念もあるかもしれない。たとえパブリック・ドメインの楽譜であっても、インターネット上に掲載しようとすると、楽譜出版社が彼らの利益が損なわれると恐れ、何かしらの抗議によってサイトの運営を妨げようとするのではないか、と。

 しかし少なくとも今回のUniversal Editionの件はそういった類のものではない。運営フォーラムには、同社のプロモーション・マネージャーが登場し、IMSLP側に何が問題なのかを具体的に説明している。彼は「カナダにおいてパブリック・ドメインの楽譜を、カナダの人々がカナダでダウンロードすることには何の問題もない」と明言し、一時閉鎖の後も(ヨーロッパの利用者を考慮した適切な著作権対応を講じた上で)「IMSLPを再開してください」とまで言っているほどだ。

 彼は次のように主張する。「大企業が善良な個人を踏みにじった、今回のケースをそう理解するのはたやすいけれど、これはそういう話じゃないんだ」。最初の弁護士の手紙とは異なり、Universal Editionの担当者はまったく傲慢でも尊大でもなく、むしろ礼儀正しい。なんだ、お互いに直接コミュニケーションをとってみれば、ともに音楽の世界の住人なんじゃないか、とすら思える。いや、それでも議論は紛糾し、錯綜するのだが。

 でも、もし最初に弁護士の手紙などをよこさず、このプロモーション・マネージャーが直接コンタクトを取っていれば、事態はまるで違った展開をたどっていたのではないだろうか。(もしあなたがUniversal Editionの担当者だったら、どんな応対をしただろうか?)

 今回の事件で印象に残ったのは、Universal Editionが「カナダでパブリック・ドメインの楽譜をカナダでダウンロードすることには何の問題もない」と言い切っていることだ。「えっ、そんなの当たり前のことじゃないか」と思われるかもしれない。うーん、もちろん、そうだ。そうだけど、インパクトはあるのだ。権利が切れているから自由にコピーしていいですよ、と楽譜出版社が自ら語る光景はそうそう見られるものではない。

 本来、権利が切れた楽譜が世に広まることは、楽譜出版社にとって悪い話とは限らない。モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスといった権利の切れた作品がより広まることで、(地域によっては)まだ権利の生きているバルトークやR・シュトラウス、シベリウスも演奏したい/聴いてみたいと思う人々は増えると考えるほうが自然だろう。

 また、IMSLPに掲載されているのはパブリック・ドメインの作品だけではない。たとえば、テリー・ライリーの有名なミニマル・ミュージックの傑作「in C」が掲載されている(これはごく小さな楽譜で、CDのジャケットにも載っているし、以前から別のサイトでも公開されている)。

 ライリーは存命中なので、作品の権利はまだ生きている。権利は放棄されたわけではなく、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのもとで公開されている。ライリーほど有名な作曲家の例は他に見つけられなかったが、ほかにも現代の作曲家たちで自身の作品をクリエイティブ・コモンズ・ライセンスで公開している例がいくつもあった。今後IMSLPの規模が大きくなれば、ここで作品を公開しようという作曲家も増えてくるかもしれない。新たな可能性を感じさせる。

 それにしても、ある作品がある地域で「パブリック・ドメイン」かどうかを判別するのは、一筋縄では行かないものだと今回思い知ったのだが、それはまた次回にでも。

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