先月、九州に出張に行く機会がありました。D2Kというイベントにて、講演・パネルディスカッションに参加させていただきました。

 九州に行くせっかくの機会ですから、以前から行きたいと思っていたところに行くことにしました。

 それは、鹿児島にある「知覧」というところです。
 知覧には、「知覧特攻平和会館」があります。

 知覧は、太平洋戦争時代、陸軍の本土最南端の特攻基地として知られた場所で、この平和会館には、特別攻撃隊員の遺影や遺品、記録などの資料が展示されています。

 「特攻隊という人類史上類のない作戦を課せられた彼らを通して、何を感じるのか?」

 日本人なら、1度は行っておいたほうがいいと、知人や先輩方から言われていましたが、行こう行こうと思いながらも延び延びになっていました。

 これはインターネットの良い面でもあり、悪い面でもあるのですが、インターネットで探せばどんな情報でも手に入ります。行く前からいろいろと調べていた僕としては、期待しすぎであった分、衝撃がやや薄らいだのは否めませんが、それでも胸にこみあげてくるものがありました。何の情報も持たずに行ったら、きっと自分の人生について、大きく考えるきっかけになる場所なのだと思います。

 その帰りに、せっかくなので特攻隊にまつわる本を数冊購入し、さっそく読んでみました。

 知らなかったことがたくさんありました。

 前回の100回の記事に、自分の過去の記事を見返すにあたって「過去を直視しない者は、現在にも盲目である」と書きました。たぶん、この「過去」という言葉には、こういった歴史も含むのだと思います。

 と今回は、少し重いテーマで書き進めているのですが、そもそもこのような大それた話を、僕が書いていいものか。

 今34歳。戦争というものに、まったくリアリティはない世代。

 戦争について考えるきっかけをもらった最初の経験は、小林よしのりの著書「戦争論」を読んだとき、という今どきの日本人です。その後、戦争にまつわる本は、今回に限らず、ちょくちょく読んではいるものの、大した知識もないので、戦争そのものについての論じるのには力不足です。

 ですから別の視点で。「極限下における人のあり方」について書いてみようと思います。個人的にはそういったことに非常に興味があります。

 たとえば、アウシュビッツについて書かれた名著「夜と霧」という本があります。

 アウシュビッツにいた筆者が自らの体験談を書いているのですが、これほど、極限下に置かれた人間について考えさせられる本はありません。人が集団になって、思考を停止したときの残酷さ、そういった体験をしている人には、読み進めるのが恐ろしいかもしれませんが、読まれてない方は読むことをお勧めいたします。

 僕は何回か読み直しているのですが、読み直すたびに新しい発見があります。
 中学生の頃、読んだ後は、ただただ恐ろしいという感想しかありませんでした。
 大学生の頃、読んだ後は、世の中に対して少し厭世的になりました。

 そして、社会人になった今、改めて読むと、世の中をポジティブに生きるための教訓を得ることができます。著者が精神科医だということもあり、様々な教えがつまっていますが、その中でも最大の教訓は、「極限下に置かれたときに、どうやったら生き残れるのか?という方法論や考え方を問うことは、まったく意味がない」ということです(人によってとらえ方は違うかもしれませんが)。