ほぼ1年前のことになるが、このコラムでインターネット・アーカイブ(IA)という非営利組織について触れたことがある。IAは、インターネットのウェブサイトや映像作品、テレビ番組などのデジタルデータをアーカイブ化しており、中でも全米の図書館にある膨大な数の書籍をスキャンして、巨大なデジタル・ライブラリーを作ろうとしている組織だ。IAの主宰者であるブリュースター・ケールは当時、未来のデジタル・ライブラリーが商業目的の企業傘下にあるプライベート・ライブラリーばかりになってしまうことを危惧していた。

 10月22日付けの新聞で、そのデジタル・ライブラリー合戦がいよいよ本格化してきたなあと思わせる記事に出くわした。ニューヨーク・タイムズのその記事によると、全米の図書館は今、グーグルやマイクロソフト、ヤフーなどの商業デジタル・ライブラリーにスキャンをゆだねるところと、それに抵抗するところに二分されているのだという。

 グーグル、マイクロソフト、ヤフーは現在、全米の図書館に無料のスキャン・サービスを提供しようと、先を争っている。スキャンするのは、ほとんど著作権の切れた書籍。だが、中にはほんの一部だけを公開することを条件にはしているが、著作権のある書籍も含まれている。彼らがこれを無料で提供するのは、スキャンしたデータにはいずれグーグルやマイクロソフト、ヤフーそれぞれ各社の検索を通してしかアクセスさせないからである。いわゆるデータの「囲い込み」だ。

 以前、グーグルが図書館で使っているスキャン装置の写真を見たことがある。大きな書籍も楽々と持ち上げるロボット・アーム付きで、それがページまでめくって自動スキャン作業をこなしていく。確かグーグルが独自に開発したものだったと思うが、ソフトのプログラムだけでなく、こんな機械まで作ってしまうとはさすがの知力と財力、人脈、と感心した。グーグルはこうした機械を図書館に持ち込み、すでにスタンフォード大学、ハーバード大学、ニューヨーク市立図書館などで1500万冊の書籍のスキャン作業に取り組んでいる。

 一方、こうした「無料スキャン提供サービス」に躊躇しているのは、ボストン公立図書館や議会図書館など。これらの図書館は、IAが中心になったオープン・コンテント・アライアンスという組織にスキャンをゆだねている。オープン・コンテント・アライアンスは、どんな検索エンジンからもデータのアクセスを可能にしようとしているのが、グーグルやマイクロソフトなどとの大きな違いだ。そもそも図書館を私有化させてはならないという判断によるものである。ただ、この組織にはグーグルのような財力がないので、スキャンには1ページ10セント程度の料金がかかる。図書館の中には、グーグルやマイクロソフトによる無料サービスと、オープン・コンテント・アライアンスによる有料スキャンの二本立てでスキャン作業を進めようと決定したところもあるようだ。

 それにしても、難しい時代になったなあというのが率直な感想である。われわれ一般のユーザーにとってみれば、グーグルの書籍のデータベースで何の不自由もない。無料の電子メールサービスと同じように、脇に多少の広告が付くだろうが、調べものを邪魔するほどのこともないだろう。

 だがこの問題は、電子メールサービスが無料になったこととは根本的に異なった性質のものなのだ。

 まともな国民健康保険制度すらないアメリカでは、あらゆることがビジネスによって賄われている。しかも、誰もそれに疑問を抱かない。それでも、決して「私」の手にゆだねてはならないもの、「公」の領域に残しておかなければならないものの中に、人類の「知」は含まれているはずだ。「何でも無料」のインターネットの風潮の中で、一部の人々が懸命になってこの消え入りそうな「公/私」のラインを護ろうとしているのである。

 デジタル・ライブラリーの問題は今、全米の図書館がこうしたことに厳しいスタンスの表明を求められているのを意味している。「公」とは何か、それを見極める、今が勝負所なのだ。

 われわれユーザーは近い将来、おそらく両方のライブラリーを利用していることだろう。だが、その違いをしっかり認識できるのだろうか。そもそも、目くじらを立てて違いを知らなくてはならないのだろうか。その判断力を持つには、手軽さに身を委ねるだけでなく、新しい世の中の成り立ちをよく理解する必要がある。

 インターネットの発達によって、「私」と「集団」「共同」が融和するオープン・ソフトウエア開発のようなおもしろい動きが出てきた一方で、「私」と「公」の境界がますますぼんやりとあいまいになっているというのが、今という時代の現実なのである。