熊本県の阿蘇にある黒川温泉をご存じですか。

 今でこそ日本で1、2の人気を争うほどの人気温泉地ですが、それはほんのここ数年の話です。20年ほど前までは、どの旅館も黒川温泉ならではの良さというものを見いだすことができず、観光客の足も遠のくばかりでした。

 私は地域に特色がないのなら、新しく作ればいいと考えてきました。たとえば品質の良い餅米ができるから餅を作ろうとか、あるいは標高が高く野菜がおいしいので高原野菜をブランドに育てようとか、地域の特性に合わせて考えれば、何かしらアイデアは出てくるものです。ただし、そのアイデアを生み出すのは人間。地域の本当の「お宝」はモノではなく人材なのです。

 黒川温泉は本当に何もないところでした。何しろ寂れていたので、開発も大して進みませんでした。しかし、それを逆に特色として打ち出そうと考えた旅館の若旦那が登場して状況は大きく変わりました。それが旅館・新明館の3代目、後藤哲也氏です。今では旅館のカリスマ経営者としてすっかり有名ですが、最初は彼の考えを理解してくれる人は周りにほとんどいなかったといいます。

 彼は、2代目の父親が精魂込めて作った日本庭園を壊して雑木林に変えてしまいました。立派な松が何本も植えられていましたが、都会から来た客が「わざわざ空港から3時間もバスに乗ってきたのに、窓から見える風景はありきたりだ」と不満を漏らすのを聞いたのがきっかけだったそうです。

 温泉はどこにでもあるのに、どうしてわざわざ黒川温泉まで足を運んでくれるお客さんがいるのか。顧客の立場に立って、彼らが求めているものを考えた後藤さんがたどり着いた答えは、「ひなびているからこそ、都会では得られない癒しを求めているのではないか」という点でした。それならば徹底的にひなびた情緒を作り出せばいいと彼は考え、雑木林を作り出そうとしたのです。

 地道に努力を積み重ねた結果、新明館は地域で1番の繁盛旅館になります。やがて他の旅館の主人が後藤氏に助けを求めるようになります。ここで後藤さんは惜しみなくライバルたちにノウハウを伝えました。なぜなら、黒川温泉の地域全体でひなびた雰囲気を演出することが重要だと考えていたからです。

今、黒川温泉の名物となっている露天風呂も後藤さんが始めたもの。建物の壁を焦げ茶色に統一するアイデアもやはり後藤さんから出たものです。最終的にガードレールも焦げ茶色に塗り直し、電柱まですべて入れ替えたというのですから徹底しています。

 後藤さんは、いわばスーパースターです。徳島県の上勝町が「つまもの」を特産品として育てることができたのも、やはり1人の農協職員のアイデアに端を発していました。こういうスーパースターを地域がいかに受け入れ、活躍できるようにするかが重要です。前例がないアイデアでも、新しい可能性があると認める寛容さが、結局、ほかにはない地域の魅力を作り出すことにつながるのです。

 黒川温泉は1200円の「入湯手形」で、どの旅館の露天風呂でも3カ所まで入れます。地域全体が一つの旅館で、道路は廊下。そう思わせるくらいの一体感があります。「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」で、地域の発展を心から願う後藤氏を中心に、地域が1つまとまったから成し遂げられた成果です。

 ただし、黒川温泉の再生物語もそう順調に進んだわけではありません。変革に対しては抵抗勢力がたいていは立ちふさがるものです。黒川温泉の場合はそれが旅館組合の上層部だったと聞いています。これは別に珍しいことではありません。ほかにも、たとえば、閉店した店が軒を連ねるシャッター通りが生まれ変わろうとするときには商工会が、新しい働き方を導入しようとすると連合が、それぞれ改革を妨げようとするなど、同じような例は少なくありません。新しいものの行く手を阻むのは、皮肉なことにいわゆる地元の名士と呼ばれるような存在であることはよくあることです。

黒川温泉の場合、にっちもさっちもいかなくなった旅館が後藤さんの助けを借りて1つ、2つと再生に成功しました。その成功が実績として認められることで、大きな変革のうねりを生み出しました。そして、やがてすべての旅館が1つになって、旧体制を覆したんですね。

 「あるもの探し」の成功例として、黒川温泉は非常に象徴的な存在だと思います。地域が活力を取り戻すには、人材がキーになることとともに、その人材の活躍が妨げられないことが必要なのです。

 もう1つ、黒川温泉の成功の裏には、行政ではなく住民が改革を主導した、という要因もあったと思います。行政が主導しているうちはハコモノありきになりがちですし、行政の仕事に「住民が参加させていただいている」という形にどうしてもなってしまいます。これは改める必要があります。

行政の側の人間はよく「住民の皆さんにご参加いただき」という言葉を使います。この発想には大きな間違いがあります。本当は行政のほうが役所から外に出て、住民たちの中へ入って行かなくてはならないはずです。主導権は住民にあって、それをプロモートするのが行政の役割です。IT化が進み、分散化が世の流れになっていますが、地域作りは国ではなく自治体自ら、行政ではなく住民自らが考え、行動することでしか成し遂げられないのです。

 私が取り組んでいるマニフェスト運動も、基本は同じ考えで進めてきました。マニフェストというツールによって、選ばれようとする人は自らの達成目標を掲げ、責任範囲を提示すると共に、選んだ市民も自分たちの代表がどれだけ責任を果たしたかチェックするのです。そうすることで、もたれ合いではなく、自立した個による尊重と助け合いを軸とした社会が実現することでしょう。

 さて、これまで約半年にわたって、ICTの誕生によって私たちの社会やまちづくりがどう変わっていくのかを考えてきました。繰り返しになりますが、キーワードは分散化です。社会の構図でいえば、自らの責任を果たす市民が主役となる世界が少しずつ実現していっています。過疎や産業の空洞化で苦しんでいる地域が、成功している取り組みをどんどん真似することで活性化することを願って、できるだけ成功している具体的な事例の紹介を心がけてきたつもりですが、お役に立ったでしょうか。

 ICTはただ便利に使える技術というだけではなく、新しい文明を生み出す変革の種です。この新しい文明の到来による恩恵が、より多くの人々にもたらされることを強く祈りつつ、最終回の稿を閉じたいと思います。これまでご愛読ありがとうございました。