法定通貨が国の経済を回すためのお金であるのに対し、地域通貨は地域のコミュニティを活性化させるためのチケットです。体の不自由な人の代わりに買い物をするなど、地域に貢献したらチケットをもらう。そのチケットをためて、地域の誰かが提供しているサービス、マッサージなり日曜大工なりと交換する。地域通貨によって、地域への貢献が客観的な価値として評価されるようになるとともに、個対個の助け合いを、個対多の大きな相互扶助の輪に広げていくことができます。

ベルトコンベアー方式を支える法定通貨、セル方式発想の地域通貨

 では、なぜ法定通貨にそういう役割を期待することはできないのでしょうか。

 法定通貨は国全体で流通しているので、どうしても規模が大きくなります。大量に生産し、大量に仕入れ、大量に消費したほうが効率がいい。そして、そのプロセスで発生する価値の交換を支えてきたのが法定通貨だと言えます。

 地方都市へ出かけると、かなり高い確率で、シャッター通りを目にすることでしょう。地域の特色を反映した商店街が消えた代わりに、街の中心を外れたところに、日本中どこでも同じ姿をしたショッピングセンターがあるわけです。このショッピングセンターの勝利は、大量生産大量消費というプロセスで、価格が安くなったという価値が人々に評価されたということにほかなりません。そして、この「価格」は工業社会で生み出された価値を法定通貨で置き換えたものだと言えます。

 工業社会と大量生産はセットです。工業社会の本質は、「機械」に生産を託すことで大量生産を可能にした点にあります。その結果、人々は機械があるところに集まらざるを得なかった。そのため、企業中心の生活を人々に強いることにもなりました。コミュニティを捨て、街を捨て、家族を捨て、人々は機械のあるところへ出かけていく。高度成長の過程で生まれた「団地」や「鍵っ子」、「一人っ子」といったものはその象徴でしょう。

 工業社会はオートメーションの社会と言い換えられます。効率を上げるためには、専門性が要求されます。「あなたはネジを作る人」「あなたは部品を組み立てる人」といった具合に、役割を細分化された人々がベルトコンベヤーの前に並んで流れ作業をするわけです。人が機械に使われるわけですから、創意工夫も生まれません。労働力として単に消費されるだけです。

 しかしベルトコンベヤー方式が進化したら、セル方式が出てきました。セル方式では、1から10まで全ての工程を1人で担当する。すると、よく使う道具ほど手元に近いところへ並べておこうとか、この機械は堅いから柔らかくしようとか、自然と創意工夫が生まれてくるんです。人が機械を使うことで、人間が持つ限りない知恵が発揮されるわけです。

 通貨もまったく同じ構造だと思うんです。法定通貨はベルトコンベヤー方式で、地域通貨はセル方式。国という大きな流通の枠組みでは発揮されなかった地域の力をよみがえらせるものが地域通貨です。画一的な大量生産、大量消費のメカニズムの中では不可能だった、個人が持つ知恵や技能を互いに発揮し、地域の中で価値を生んで交換し合うことが可能になります。

 先のショッピングセンターと地域の商店街のケースで考えてみれば、同じ物をただ手に入れることが目的なら安い方がいい。そこでは法定通貨で評価される価値が絶対的な基準となります。でも、商店の店主と世間話を楽しんだり、重いものを買ったときにちょっと配達を頼めたりという魅力をきちんと評価できるようなシステムを作ったら、どうでしょう。ひょっとしたら人々の行動は変わるかもしれません。商店街の店が、セル方式のように、それぞれ自分の頭で考え、行動して客から評価される形になれば、商店街全体の魅力も増します。その商店街全体で生み出される価値を表面化させる仕組みの1つが地域通貨だと考えることもできるでしょう。

団塊世代が進む次のステージ

 2007年、団塊の世代が退職を迎えます。彼らは工業社会のまっただ中を歩んできた人々ですが、その分、熟練した工業技術の腕を持っているはずです。自動車を作っていた人は自動車のメンテナンスができるでしょうし、家を建てていた人は家の補修ができるでしょう。それぞれが身につけた多様な専門性を互いに活用し合えれば、法定通貨に頼らずとも生活を豊かにできるに違いありません。そうした相互扶助の社会を作るための仕組みが、地域通貨というわけです。

 そして、こうした地域での相互扶助は、これから訪れる格差社会の時代においては、庶民の知恵として欠かせないものになるでしょう。次回はこれについてお話ししましょう。