成城大学の野島久雄教授が今、興味を持っているのは、社会の中で分散されて置かれている知識を人々がどのように使っているかを調べる研究である。野島氏は語る。

 
方向オンチの科学
新垣 紀子著 / 野島 久雄著
講談社、945円(税込)
写真をクリックするとbk1へ移動
「例えば、街の中での移動。街の中には非常にたくさんの知識があるんですね。都会を歩けば、信号には何とか3丁目とか書いてあったり、駅を出たところには街路図があったり、ちょっと歩けば住居地図がたくさん置いてあったりするわけです。また、どこかに行こうと思えば、Google Mapとかでいくらでも検索ができる。ところが、たくさんの情報が街の中にあるのに、実は我々が有効利用してないんですね。そういうことを調べようと思って、『方向オンチの科学』という本も出版したんです。

思い出を形にしてみる

 1996年からでしたか、世田谷が開催している「区民大学」というのがあって、区民の人たちに街の情報をウェブ化してみませんかという提案を行いました。それは面白いということになって、ついには「思い出倉庫株式会社」を作ろう、「思い出倉庫」はモンゴルに置こう、という話にまで盛り上がりました。非常に多くの人が、自分の情報とか、自分の街の情報を残すことにすごく思い入れを持っているんだなということに、そのときに初めて気付いたんですね。さすがに株式会社は実現にはいたりませんでしたが。

 その2年後の1998年に、文科省の教育の情報化に関する調査のためにアメリカに出向きました。そして、サンノゼの学校に行った時に、ある取り組みに出会いました。子供たちが自分のおじいちゃん、おばあちゃんを呼んできて、おじいちゃん、おばあちゃんに自分の一生を語ってもらう。それを子供たちがマルチメディアコンテンツでCDを作るという取り組みだったのです。

 そこでは、おばあちゃんの一生を、写真を入れたり、おばあちゃんのハミングした歌を吹き込んだり、おばあちゃんが大好きだったという歌をCDからとって入れたりと、そういう実践をしていました。高齢者の人にとっては、ITテクノロジーに接する非常にいいきっかけになるし、子供たちにとっても、おじいちゃん、おばあちゃんから、移民でアメリカに来た話、非常に苦労した経験、そういう歴史を聞くことは、非常に教育的で面白い取り組みなんですね。

 そして、そこの先生が言っていました。おじいちゃん、おばあちゃんにITを教えようとした時、子供世代が教えようとしてもだめだと。子供と親は、たいていけんかになっちゃって、教えるなら孫がいいと言うんですね。孫がおじいちゃんだめだよと言っても、おじいちゃんは怒らない。でも息子から、だめだよ、父さん、とか言われると、むっとすると。わかりますよね。

街に記録されている思い出

 同様の実験を是非、日本でもやってみたいと考え、大学が行っている生涯学習プログラム「成城学びの森」で、2週間に1回、計5回のコースで、同様のワークショップを始めてみたんです。「記憶の心理学から思い出の工学へ」というのが、そのコースのタイトルです。そこでは、参加者がそれぞれ自分の思い出の物を持ってきて、それを作品にしているんです。大切なものを持ってきて写真を撮ったり、そこに書き込んだりして、様々なメディアができあがりました。そして、せっかくこの成城という街でやっているんだから、成城にかかわる話で何かないでしょうかねという話をしたら、とんどもない作品が次々に誕生したんです。

 1人の結構高齢の男性の方は、成城にずっと住んでいます。この人は成城には思い出がたくさんあり過ぎて、物で語るのは難しいと言うんですね。それでどうしたらいいんだろうと悩まれたあげく、地図の上に自分が学んだ小学校、中学校、高校の時の友達の住所録。その地番を針でマッピングした作品を持ってこられたんです。

 それを見ると、成城の街の中での友達の分布がよく分かります。彼自身も昔のことを本当に思い出します、と語られました。「昔友達とこの辺で遊んだよな」とか、「女の子の友達をここまで送っていったね」とか、そういう話をしてくれるんです。「おおーっ、これはいい」と感動し、そこに他の人々のいろいろな思い出も張り込んでいこうと盛り上がっているんです。

 また、別の方が持ってきたのは、成城の街のヒマラヤスギの写真マップでした。何でヒマラヤスギが成城にたくさんあるのかというと、創立者が成城学園を作る時に、職員たちに3本ずつヒマラヤスギを渡し、これを育ててくださいと植林したからなんだそうです。ところが、だんだん高齢になって、住宅を相続すると、1軒の家を3つに分けるといったミニ開発が行われ、多くのヒマラヤスギが切られているんですね。その方は、こうした状況を写真マップで表現した。そして、その作品が契機になり、成城のヒマラヤスギを保存しようという運動も生まれてきました。

 僕にとってもせっかくこの大学に来たんですから、成城という街、あるいは世田谷という街、あるいはこの大学が、生きている大学として、街の住人たちとどうインタラクションしたらいいかを考えたいと思う大きな契機になりました。

 逆に、学生たちは今、この街に何の思い入れも抱いていないということもよく分かりました。ここには、飲み屋もないし、学生が食べられるような安いお店は、マック(マクドナルド)や牛角ぐらいしかないんですね。学生はみんな校内で食事をし、飲み屋ということになると下北沢に行っちゃうんです。そうすると、せっかくこの街にいるのに、ここの学生はこの街のことを何も知らない。何かとてももったいないと思って、学生と街をつなぐ仕事ができないかと新しいプロジェクトを構想しています。例えば、学生とこの辺の高齢者の方をペアにした、思い出開発のプロジェクトなどがあり得ると思うんですね」。

 野島先生が語ってくれたのは、街をテーマにした時の思い出コミュニケーションの可能性である。思い出の重要な可能性は、思い出を聞いてくれる対象が存在することであり、思い出を語れる場があることだ。「自分の話を聞いてくれない」とこぼすお年寄りがおられるが、他者から認められる思い出プラットホームの開発は、こうした高齢者のバリアフリープログラムとしても大きな意味を持つ。

手作りの成城グルメマップ
 野島先生はまた、大学への就任直後に事務員が書いて教えてくれたという、手づくりの「成城グルメマップ」のお話もしてくれた。個人的な尺度で選ばれたはずの料理屋や飲み屋だが、志向や世代を超えて「美味い!!」と共感できるお店に出会うことができる。新規のコミュニケーションを活性化させるツールとしても、こうした街の思い出マップは様々に機能するはずである。

 そして、もう一つ考えさせられたのは、こうした思い出コミュニケーションを形にする、ツール開発そのものの可能性である。街のB級、C級の飲み屋がそこでの馬鹿騒ぎ風景とともに表示され、「あそこ美味かったよね、面白かったよね」などと語り合いながら、マップそのものを編集できるようなソフトがあれば、とても楽しいに違いない。一見すると無関係なヒマラヤスギ、同窓生の自宅マップ、新しい街づくり運動といった、異なるコンテンツが「越境」し合うプログラムなども、技術的には不可能ではないはずだ。

 野島先生がランダムに語ってくれた事例は、「個人に属して、しかし個人に閉じたものではない情報」をいかにうまく取り扱うかという、やさしいITの仕組みそのものの可能性なのである。