読者の皆さん,はじめまして。弁理士の恩田です。このコラムでは「特許」をメインにした「知的財産権」にまつわる話題を,初めての人にもわかるようにやさしく説明していきます。特許や知的財産権というと,何やらわけのわからない難解なもので自分には関係ナイ,って思っている人もおられるかもしれませんが,そんなことはありません。日ごろ,仕事や趣味でソフトウエア開発に携わっている人も,「世紀の大発明で一獲千金!」を狙っている人も,自分の権利を守るために,基本的な知識をぜひ身に付けておいてください。

 ここは,窓から新宿副都心の高層ビル群が臨める,とある特許事務所。ある日のお昼休み,弁理士のA氏は同級生のS氏が来るのを待っています。

コン,コン…(ノックの音)

弁理士A:はい,どうぞ。

S:やあ,久しぶりだね。元気そうじゃないか。

A:君こそ,相変わらずだね。大学のときからコンピュータ好きな君だったから,ソフト会社に就職したときも,みんな,なるほどと思ったもんだよ。で,どうだい。卒業して結構になるけど,当時からの口癖だった「究極の人工知能」とやらは完成したのかい。

S:まあ,それは鋭意開発中ってことにしておいてくれよ(笑)。今日は弁理士の君にちょっと教えてもらいたいことがあって来たんだ。

A:ほう,技術さえ知っていれば法律なんか知らなくていいって豪語していた君の言葉とも思えないね。ま,ほかならぬ同級生の君の頼みごとだ。お昼休みでちょうど手も空いていたときだし。で,どんなことだい。

「青色発光ダイオード」裁判って?

S:ちょっと前のことだけど,青色発光ダイオードの発明者である中村修二氏が,自分が所属していた企業を相手取って特許にからんだ裁判を起こしたニュースを聞いてね,我々ソフトウエア技術者が仕事で開発したソフトウエアって,そこらへんのことはどうなってるんだろうって気になったんだ。

A:なるほど。究極の人工知能の発明を目前にした君としては気になるわけだ。と,まぁ冗談はさておいて,中村氏の裁判はずいぶん話題になったから,技術者として興味を持つのは当然だろうね。というか,僕に言わせれば,これまで日本の技術者はそうしたことに興味を持たな過ぎたわけだけど。

S:講釈はいいから早く教えてくれよ。

A:まあ,そうあせるなって。それじゃ,今回の裁判について簡単に説明していこう。それが,君の質問に対する答えになるからね。

S:それについては一応のことは知っているつもりだけど,専門家の君がただで講義をしてくれると言うのなら,とりあえずお聞かせいただこうか。

A:発光ダイオード(LED)は電圧をかけると光る半導体のことなんだけど,赤・緑・青の光の3原色のうち,青色は波長が短いので最も開発が難しいといわれていたんだ。

S:それを当時,日亜化学工業に勤めていた中村氏が開発したわけだよね。「世界的発明」と評価されたとか。

A:そう。中村氏はその後,日亜化学工業を辞めて,現在は米California大学Santa Barbara校(UCSB)の教授をしているわけだけど,日亜化学工業は中村氏の発明に対して2万円しか報酬を渡さなかったんだ。内訳は,中村氏が会社に特許の権利を譲渡して特許出願をした時に1万円,特許が登録になった時に1万円らしいね。

S:世界的な大発明なのに,たった2万円しかもらえなかったの? 日亜化学工業は青色発光ダイオードのおかげで,業績が大幅アップしたっていうじゃないか。会社がたらふく儲けているのに,発明者に対してそれっぽっちの報酬じゃあね。中村氏が訴えたくなる気持ちはわかるよ。

A:まあ,簡単に言えばそういうことだね。ここでの問題点の一つは,中村氏が特許出願をした当時,特許の制度をよく知らないまま書類にサインをしてしまい,権利を会社に譲渡してしまったってことなんだ。

S:技術者って結構,法律オンチが多そうだから,なんとなく起こりそうな話だね。
A:そう。それで中村氏は,特許の権利を会社に譲渡したのは無効で,特許は自分のものだと主張しているんだ。そして,もしその主張が通らなかった場合には,“正当な報酬”として会社が中村氏に20億円を支払うように求めているんだ。

S:なるほど。よくわかったよ。「特許の権利を会社に譲渡」ってところがポイントになるわけだね。そもそも,発明に対する特許の権利って誰のものなんだい? それに,いくら知らなかったからといって,本人が権利を譲渡することを認めるサインをしてしまったのに,無効にできるのかなあ。

A:日本の法律では,「発明」は個人がするものであって,会社(法人)は発明者になれないんだ。だから,企業の従業員が自分の業務に関係する発明,これを「職務発明」って呼ぶんだけど,職務発明をしたときは,会社はこの権利を譲り受けるって格好になるわけさ。したがって会社が中村氏から権利を譲渡されたという点に問題は無いんだ。

S:そんなにすごい発明だったら,会社なんかに譲らないで自分で特許を出しちゃえばいいんじゃないのかな。僕だったらそうするけどなあ。そして,特許が成立したら会社に高く売りつけてやるとか。

A:君も単純だな。そんなことを認めたら,発明を生み出すための施設を提供して,研究者に給料を支払っている会社はたまったもんじゃないよ。

S:そりゃそうだけど…。

A:そのへんについては,ちゃんと法律で定めているんだ。職務発明について従業員が特許をとったら,会社はその特許を使ってビジネスを行う権利があるんだよ。これを「特許を実施する権利がある」って言ってるんだけど。

S:ふ~ん,ずいぶん会社に都合がいい法律じゃないか。確かに,発明をする環境は用意してもらっているけど,実際に苦労して考えたのは社員のはずなのにね。

A:さらに言わせてもらうと,特許を取るのには結構な手間とお金がかかるから,従業員が自分で特許を出すというのは現実的じゃないだろうね。

S:…。

A:で,次に出てくるポイントが,職務発明を譲り受けた企業は,発明者に正当な報酬,これを法律用語で言うと「相当の対価」を支払わなければならないってことなんだ。

S:なるほど。それが,中村氏が挙げてきた20億円っていうわけか。で,青色発光ダイオードの裁判はどうなったんだっけ。中村氏が負けちゃったってニュースで言ってたみたいだけど。

A:いやいや,まだ審議の途中なんだよ。2002年9月19日に原告側の主張の一部について判断をする中間判決が東京地方裁判所で出されたんだけど,そこでは,特許の権利譲渡は有効だという判断が下ったんだ。すなわち中村氏の一つめの主張は通らなかったわけ。二つめの主張である正当な報酬がいくらになるかは,これから判決が下されるんだよ(ITPro補足:東京地方裁判所は2004年1月30日,相当の対価として604億3006万円を認定。このうち中村氏が一時請求していた200億円の支払いを日亜化学工業側に命じた)。

“正当な報酬”って一体いくら?

A:ところで,似たような裁判がほかでも起こされているのを知ってるかい。

S:えっと,味の素の「パルスイート」裁判だっけ?

A:そう。これは人工甘味料「パルスイート」の製造方法の特許について,元社員である発明者が正当な報酬を受け取っていないということで,20億円の支払いを同社に求める訴訟を起こしたんだ。

S:これまた高額だねえ。金額の根拠は何なんだろう。

A:この発明者は,すでに1000万円の報奨金を受け取っているんだけど,味の素が米国企業などから受け取ったライセンス使用料について,自分は対価を受け取っていないと主張しているんだ。だから,その分をよこせってわけさ。

S:ふ~ん。ところで,さっきからしきりに出てくる“正当な報酬”って,一体いくらが相場なんだい?

A:大企業では,特許を出願したときに1万円,登録したときに1万円ぐらいにしているところが多いみたいだね。さらに,特許でライセンス収入があれば,利益の数パーセントとか,数百万円,数千万円といった額まで支払う企業もあるね。でも,これが果たして“正当”なのかどうかは,発明の内容にもよるから一概には決められない。難しいものなんだ。

S:ふ~ん,なんだか煙にまかれたような感じだな。やっぱり法律ってわかりにくいや。ま,だから君みたいな専門家が必要になるんだろうけど。で,最初の質問に戻るけど,僕が業務で作ったプログラムは会社のものってことなのかい。

A:基本的にそういうことになるね。通常は,会社に「職務発明規定」みたいなものがあるはずだから,確認してみるといいよ。

S:うちの会社にそんなものあったかなあ…。

A:よくあるのは,入社時に勤務規則などの各種規定といっしょにどさっと渡されることだね。もっとも,君がそんなものをちゃんと読んでいるとも思えないけど。

S:ご名答(笑)。

A:特許と関係なさそうな企業には職務発明規定をもっていないところが結構多いんだよ。君のところのようなソフトハウスはひょっとすると職務発明規定を整備していないかもしれないね。

S:わかった。一度,確認してみるよ。

A:最近は「ビジネスモデル特許」の出願が増えているからソフトハウスでも職務発明規定は重要だよ。

S:ビジネスモデル特許というと,新規ビジネスの方法とそれを支える情報システムに対して与えられる特許のことだね。職務発明であってもビジネスモデル特許を取れれば,僕も正当な報酬として大金を受け取れるかもしれないってわけか。

A:そうそう。今後はソフト開発者が特許を取ることが当たり前になる時代が来ると思うよ。

S:そうかあ。じゃ,早速1件ぐらい特許を出してみるかなあ。

A:うん。がんばってみなよ。じゃ,今日の講義はここまでだ。お代は近所の中華料理屋のランチでいいよ。上海ガニが旬なんだよ。

S:え,ただで教えてくれたんじゃないのかい。

A:正当な報酬を受け取ろうとする人は,自分も相手に正当な報酬を支払わなくちゃね。

「弁理士」ってどんな人?

 弁理士は,弁護士や公認会計士と同じように,国家資格として定められています。特許や商標を取りたいという人や企業からの依頼を受けて,申請書類を作成して特許庁へ提出し,権利を取得するまでの手続きを代行する資格を持った人です。
 特許権や商標権は,特許庁へ出願し審査を経てはじめて登録されます。この手続きは発明者が自分でもできますが,とても複雑ですので,たいていの場合,弁理士が代行することになります。弁理士には特許権や商標権の取得以外に,企業の特許戦略や研究開発について助言を行うという仕事もあります。弁理士は,あなたが一生懸命考えて生み出した,努力の結晶である発明を,強い権利に育て上げるためのパートナなのです。