ソフトウエア開発能力を示すモデル「CMM(Capability Maturity Model)」を通商産業省が採用する。システム開発の質を高め,プロジェクトを成功に導くのが目的だ。CMMの導入によって,SI業界の悪しき慣行の改革にも挑む。通産省の狙いと,その背景を探った。

 今冬,通商産業省の関係機関が発注するシステム開発案件には,見慣れない付帯条項が付く。米Carnegie Mellon University(CMU)が開発したソフトウエア開発能力を示すモデル「CMM(ソフトウエア成熟度モデル)」に関する条件が明記されるのだ。

 CMMの導入により,ソフトウエア開発会社の能力によって発注先を選べるようになる。SI(System Integration)ベンダーにとっては,大手のカンバンなどが営業上の有利な条件にならない。企業規模が小さいために対等な競争ができなかった企業にとっては,チャンスが拡大する。

米国では不可欠な存在

表1●CMM(Capalility Maturity Model)の概要

 CMMは,米国国防総省が米CMUに依頼して作成した。ソフトウエア開発組織の状態を5段階に分類し(表1[拡大表示]),高いレベルになるためには何をしなければならないかを記述している。数字が高い程,良い状態を示す。例えばレベル1は,開発スケジュール表はあるが適切なプロジェクト管理が行われていないような組織を指す。自社のCMMレベルを知るには,CMUに申請して審査を受ける。

 当初は軍関係のソフトウエア開発だけに使われていたが,「米国では政府機関の会計検査を行う組織『GAO(General Accounting Office)』で採用され,ボーイングなどの民間組織にも広まった」(通商産業省 機械情報産業局情報処理振興課 課長補佐の萩原崇弘氏)。米国やインドのSIベンダーは,システム開発プロジェクトに入札するために,競って高いレベルのCMMを獲得しようとしている。

 一方,日本ではCMMに関する関心は低い。CMMとよく似たISO9000の取得に熱心な企業はあるものの,営業活動に大きな影響を与えるものでは無い。また,「システム開発案件の90%は成功している」(大手のSIベンダー)と,自社のシステム開発力に自信を持っており,CMMの必要性は感じていないようだ。

図1●通産省が考えているCMMの導入方法
発注前にCMMのレベルを設定し,アセッサがプロジェクトの状況を監視する。アセッサはユーザー企業側のコンサルタントに報告し,契約書に明記したCMMレベルが遵守されているかを確認する

背景には電子政府プロジェクト

 ところが通産省の萩原氏は,「ユーザーから見て失敗しているプロジェクトが多い」と嘆く。実際,通産省関係のプロジェクトでも,利用者に迷惑をかけているシステムがあるという。当初の狙いが実現できていなかったり,使いにくいシステムであったりする場合だ。

 実質的な意味で成功するために,通産省はCMMの導入を始める。通産省の狙いはCMMレベルでSIベンダーを格付けすることではなく,CMMを活用してシステム開発を成功に導くことだ。具体的な導入方法は図1[拡大表示]のように,SIの契約時にCMMのレベルを設定し,設定したレベルを維持しているかどうかを「アセッサ(Assesor)」と呼ぶコンサルタントがチェックする。アセッサは,通産省と直接契約した会社だけでなく,システム開発の実働部隊も監視する。アセッサの報告書は,ユーザー側でもチェックする。

 今後,電子政府を実現するための大規模なプロジェクトが控えており,失敗できないシステム開発が目白押しにあることも背景にある。「通産省だけでなく,他省庁にもCMMの採用を呼びかけている」(通産省の萩原氏)

ユーザー企業のIT力向上が不可欠

 電子政府プロジェクトを代表とするシステム開発を成功させることが“表”の目的とするならば,CMM導入の“裏”の狙いはSI業界の悪しき慣行を改革することにある。日本のSI業界は,仕様の書けないユーザー企業と,階層の深い下請け構造を持ったベンダー企業から成り立ち,両社の間であいまいな契約書が交わされている不健全な構造だ(図2[拡大表示])。図2のいずれの要素も,システム開発プロジェクトを失敗させる要因になる。

図2●日本のSI業界の悪しき慣行
形だけの成功を収めているSIプロジェクトが後を立たない。その理由には,?仕様の書けないユーザー企業,?失敗しても訴えられない契約書,?階層の深い下請け構造――などがある

 多くの大規模プロジェクトは,入札時に会社の規模や黒字額などを参考にする。そのため,カンバンと資金力を持つ大手のSIベンダーが受注するケースが多い。しかし大手のSIベンダーは,プロジェクトを自社で行わず系列の下請けに流す場合が多い。下請けは少ない予算でやりくりしなければならず,当然,質の低下を招く。

 ユーザー側の問題も大きい。プロジェクトの目的が不明確で発注仕様が十分に検討されていないため,完成したシステムの質が低くなる。さらに,発注側が明確な仕様を提示していないため,契約書があいまいで,「訴えても勝てない」(通産省の萩原氏)ケースが多く実質的に失敗していてもユーザー側は何もできない。

 通産省はCMMの導入によって,図2の構造を打破しようとしている。CMMのレベルを確定するには,発注仕様を明確化する必要がある。CMMのレベルが適切に設定できれば,厳しい内容の契約を結ぶことができる。大手が下請けに仕事を流しても,システム開発の実働部隊を第三者であるアセッサが監視する。

 この中で最も重要なのが,発注仕様の明確化だ。CMMの導入は,実はユーザー企業側の意識改革を促している。明確な仕様を策定できて初めて厳しい内容の契約が可能になり,CMMのレベルが維持できる。システム開発プロジェクトで成功するには発注者であるユーザー企業の変革が正攻法であり,通産省がその手本を見せようとしている。

(松山 貴之=matsuyam@nikkeibp.co.jp)