図3-1●つながる機器が増えるにしたがいインターネットのホスト数が急増する
米インターネット・ソフトウエア・コンソーシアムが集計しているインターネット上につながるホスト数(主にサーバー)の変遷をグラフ化した。わずか10年で,インターネットにつなぐ機器も使い方も大きく変わり,それとともにインターネットのホスト数も大幅に増えた。
写真3-1●豊橋技術科学大学の高田広章講師とJNIC構想を初めて話し合った機械振興会館
図3-2●海外と電子メールをやりとりできない組織もあった
日米間に国際専用線を持つのはWIDEインターネットとTISNだったので,WIDEやTISNに接続していない組織は海外と電子メールをやりとりできなかった。国際専用線を使ってよいかどうかは,DNSのしくみを用いて選別した。jpドメインのDNSサーバーを3台併用する事で実現していた。

 90年代,それまでUNIXマシンと一部のパソコンで使われていたTCP/IPは,オフィスや家庭へ浸透する。きっかけとなったのは,TCP/IPを標準搭載するWindows95の発売。これを機に,インターネット利用が一気に身近になる。インターネットにつながるホスト台数を見ても,96年以降にぐんと接続数の増加ペースがアップしていることがわかる(図3-1[拡大表示])。

 90年代後半になると,モバイル・インターネットが本格化する。これは米国よりも日本の方が活発だったといえるだろう。ノートPCやPDAをPHSでインターネット接続する使い方が一般的になる。そして1999年2月,iモードが始まる。iモード端末はTCP/IPを持たないが,インターネット上のWebにアクセスでき,インターネット・ユーザーとメール交換できる。インターネットを利用できる手軽な端末として主要な地位を占めるようになる。

 ただし,利用者の急増を促したのは,使いやすい機器が出てきたからだけではない。インターネットを使いやすくする努力の積み重ねがあった。あるときは運用技術を工夫し,あるときは新技術を用いた。ブームを支えた技術者の格闘と時代が求めた技術を見ていこう。

JPNICの母体が発足:日本のアドレス管理が始まる

 今では考えられないことだが,90年代初めまでは,ドメイン名を組織的に割り当てる体制はまだ整っていなかった。ドメイン名は,たった一人の手作業で管理されていたのだ。

 日本で最初にドメイン名とIPアドレスの管理を担当したのは,JUNET(ジェーユーネット)やWIDE(ワイド)インターネットの運用責任者だった村井である。

 村井が最初に取得したドメインはjunet ドメイン*だった。JUNETがCSNETに接続した85年のことだ。現在使われているjpドメインの運用が始まるのは89年。WIDEインターネットが米ハワイ大との間に国際専用線を開通させるにあたり,jpドメインと日本向けのIPアドレス群を取得する。

 「あのころは,自分のワークステーション上でテキスト・ファイルを書き換えて管理していたんだ」(村井)。

 ドメイン名やIPアドレスを割り当ててほしいユーザーは村井にメールで依頼する。村井は手の空いているときに発行作業に取りかかるという何とものんびりした時代だった。

DNS使い,海外接続を選別

 jpドメインのDNSサーバーにデータを登録していたのは,東大の研究ネットTISN(タイスン)*を運用していた高田広章(写真3-1)である。高田は登録作業の煩雑さに閉口する。「メールで届いた申し込みをDNSサーバーに登録するのがとにかく面倒だった。おまけに,スペル・ミスや書き間違いもある」(高田)。

 そこで高田は,自動登録プログラムを作り始める。メールが届くと,エラーをチェックした上でDNSサーバーに登録する書式に整えるのだ。このプログラムによって,メール申請を自動的に処理するしくみができあがった。

 当初jpドメインのDNSサーバーは3台を並列運用していた。理由は,国際専用線を使えるユーザーと使えないユーザーを振り分けるため。国際専用線は,WIDEインターネットとTISNが用意したものだったので,WIDEやTISNに接続していない組織に利用させないようにしたかったのだ(図3-2[拡大表示])。

 海外から参照されるDNSサーバーには,国際専用線を使えないユーザーのデータを登録しないように*した。見合う金額を支払っていない組織はWIDEやTISNのバックボーンを“ただ乗り”できないようにしたのである。

アドレス管理が組織の手に移る

 さて,WIDEインターネットが運用を始めて2,3年ほど経過すると,接続を希望する組織が増えてきて,とても村井一人の手では割り当てをさばききれなくなる。

 困った村井は,割り当てを担当してもらうメンバーを何人か集め,メーリング・リストで割り当て作業を分担して対処することにする。ドメイン名用のメーリング・リストはjunet-admin,IPアドレス用にはネットワークアドレス調整委員会と名付けた。

 ちょうどこのころ,情報処理学会が設立した研究ネットワーク連合委員会(JCRN)という組織が総会を開いた。この席上,“ドメイン名やIPアドレスの割り当てや運用をJCRNが組織的にやるのはどうか”という議題が持ち上がった(写真3-1)。91年4月のことである。早速検討が始まり,“組織で担当すべき”との結論を得る。

 91年12月,junet-adminからドメイン名の割り当て業務を引き継ぐ形で,JCRNの下部組織としてネットワーク情報センター(JNIC(ジェーニック))が発足。92年6月には,ネットワークアドレス調整委員会からIPアドレスの割り当て業務も引き継いだ。

 ただJNICの活動もすぐに行き詰まった。ボランティアや寄付に頼って運営していたため,資金が足りなくなってしまったのだ。そこでJNICは,JCRNから独立して会員制の任意団体となる道を選ぶ。

 93年4月,会費制の任意団体「日本ネットワークインフォメーションセンター」(JPNIC(ジェーピーニック))が産声を上げる。

 その後JPNICは,97年に社団法人*に組織変更し,今日に至っている。