図1 “ゲートウエイ”のスケッチ
ビント・サーフがホテルのロビーで描いたスケッチを,本人が再現してくれた。異なるネットワークをゲートウエイ(Gの箱)でつないでいる。ルーターでネットワークを結びつけるというインターネットの基本構造が描かれている。
 1973年の春,米国カリフォルニア州サンフランシスコにあるフェアモント・ホテルのロビーで,ある一人の若者が封筒の裏にネットワーク図を描いていた。若者の名はビント・サーフ。のちにTCP/IPを開発する若き技術者だ。

 封筒の裏に描かれたスケッチは,いくつかのネットワークを「G」という箱でつないだもの(図1[拡大表示])。Gはゲートウエイの意味。現在のルーターのことだ。このスケッチはそののち,インターネットの原型を最初に描いたメモとして語り継がれることになる。

 もちろんTCP/IPやインターネットのコンセプトは,ホテルのロビーで突然思いつくものではない。第1部では,コンピュータ・ネットの誕生からTCP/IPの成立までの過程を振り返ることにしよう。

インターネットの起源 ARPANETの誕生まで

 1950年代,米国と旧ソビエト連邦(ソ連)は冷戦の最中にあり,熾烈な軍拡競争を繰り広げていた。1957年,ソ連は人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功する。米国は驚愕した。「あれが核弾頭を積んでいたらどうなるのだろう」。

 この事件がきっかけで,米国は軍事技術の水準を高めるための研究機関を設立する。名称は「ARPA(アーパ)」(Advanced Research Project Agency)。インターネットの起源となる「ARPANET(アーパネット)」はここで生まれることになる。

写真1 ARPANETのルーター「IMP」
ARPANETのかなめとなるパケット交換機。パケットの経路制御の役割を担っていた。米カリフォルニア州のComputer Museum History Centerの所蔵。

パケット交換でネットを作る

 今でこそ当たり前と思われている「パケット交換方式」。データを「パケット」と呼ぶ小さいかたまりに分割して送るデータ通信技術だ。ところが,これが当たり前でない時代があった。1960年代初頭,データ通信は接続相手ごとに回線を切り替える「回線交換方式」しかなかった。

 パケット交換方式の通信を初めて考案したのは,米ランド研究所にいたポール・バランである。ただし,当時マサチューセッツ工科大学(MIT)に在籍していたレオナード・クラインロックもほぼ同時期にパケット交換理論を研究しており,1961年にはいち早く論文を発表している。

 同じMITにいたラリー・ロバーツは,クラインロックの論文を読み,「コンピュータ・ネットワークには回線交換よりもパケット交換の方が適している」と判断。ARPAに移ったロバーツは早速,パケット交換によるコンピュータ・ネットワーク「ARPANET」を提案することとなる。計画は承認され,ARPANETの構築が始まる。1967年のことだった。

電話とIMPでホストをつなぐ

 ARPANETはどのようなネットワークだったのだろうか。簡単に説明しておこう。

 構成要素は,ホスト・コンピュータと「IMP(インプ)」(Interface Message Processor)と呼ぶパケット交換機(写真1)。ホストとIMPは専用のケーブルでつながっており,IMP同士は電話回線で接続されていた。

 ホストが遠隔地にある別のホストと通信する場合,まずつながっているIMPにパケットを投げる。そのIMPは,パケットの最終目的地を基に経路を探し,次にデータを渡すIMPを決める。こうしてIMP間でパケットを受け渡すことで,最終的にホストにパケットが届く。つまりIMPは,ARPANETにおけるルーターだったのである。